~話題の書『女帝 小池百合子』を読む~ 三浦瑠麗
国際政治学者 三浦瑠麗
テレビでよく見るお顔、大変著名である。
先日、BSで偶然、彼女のインタビューを観て驚いた。
女性として悲しい体験をお持ちだった。
中3の時の性被害、死産・・・
これは昨年発売された彼女の自伝「孤独の意味も、女であることの味わいも」に書かれてあるようで、話題になったという。私などは、まったく知らなかった。
幼少時より読書に耽溺。早熟の才女は、その後、孤独の中にあったという。
インタビューを観て、それまであまり興味のなかった彼女の著者を読みたいと思った。
それともう一点、大川隆法総裁が、ある時、彼女について言及されたことがある。
たしか、コロナ感染に関して、意見が総裁と同じであった点について言及されたと記憶している。
大川総裁が言及する言論人は、光の仲間であるか、あるいはその逆である。前者のケースも多い。
情報洪水の中、限られた時間、総裁が言及した言論人を軸においてみるというのも「時間密度」を上げる方法の一つである。
そんな三浦瑠璃氏が、「女帝小池百合子」の読後感を綴っていた。
話題の書『女帝 小池百合子』を読む
政治家としての彼女への不信感
https://president.jp/articles/-/36581
三浦 瑠麗 国際政治学者
プレジデントオンライン 2020/07/03
著者石井妙子氏への評価は高い。一方で、石井氏は、同じ批判的視線を「男性」へも向けるだろうかと疑問を呈す。
~ その厳しいまなざしが果たして男性の場合にも適用されるのだろうか、とも感じた。ミニスカート。偉い男性の懐に飛び込む浸透力。かいがいしさや食事作りのうまさ。
小池さんのこうした能力やアピールは酷評されても、夜中まで煙草を吹かして麻雀をやったり、ノーパンしゃぶしゃぶに行くような男性同士の密な付き合いにはそのような厳しい緻密な筆が走らされ、生涯の歩みが追いかけられ否定され尽したことは少ないのではないか。
おそらく本書のようなタイプの小池批判は、煎じ詰めれば、
「女を使う」「言ってることとやってることが違う」の2つにシンプルに帰着するのだろう。~
そして、こう結論付ける。
~私は小池さんに総理候補として期待を寄せたことはない。
豊洲移転に関する論争が持ち上がったとき、そのやり方を見て批判的になった。
2017年衆院選に希望の党を立ち上げたときには、スピーチの中身がないことに愕然とした。
本書が語る小池都知事の虚実ないまぜの偶像は、もはや誰も信じていないのではないか。
あまり彼女を怪物扱いせずに、等身大で政策の中身や能力を論じるべきときに来ているのではないかと思う。~
東京都知事現職の小池百合子氏
「あまり彼女を怪物扱いせずに、等身大で政策の中身や能力を論じるべきときに来ているのではないかと思う。」
なるほど。
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