政治家が自助論を語ることはタブーなのか? 菅新総理を巡る反応 | 加納有輝彦

政治家が自助論を語ることはタブーなのか? 菅新総理を巡る反応

 昨日の、小生の投稿で、菅新総理が就任の談話で、「自助」を強調したことに、野党や、一部マスコミが「政治家が自助を言うのはけしからん」と反応した事を紹介させて頂きました。

 

 自助論は否定しないが、政治家が自助論を言う事は、仕事の放棄だという批判のようです。

 

 今や、政治家の最大の仕事は「分配(所得再分配)」をすることだってことかな。

 

 もちろん、税金を徴収して予算化し、道路や防災、福祉などなど公共サービスに充てるわけですが、野党が目指す国家像は所得再分配による「福祉国家」の建設です。

 

 当然、重税国家、大きな政府を標榜することになります。

だから、「自助」を政治家が主張することは、分を超えた発言ということでしょう。

 

 自助は、政治家でなく、教育者、宗教者が言う事はいいが、政治家が発言するなってことでしょう。

 

 ただ、今の政治は、選挙で票を入れてもらうためのバラまき合戦になっています。

 

 うちの党は、結婚資金に60万円あげます。

 うちの党は、80万円あげます。

 いや、うちの党は、100万円ですよ!って。

 

もちろんこれは一部フィックションですが、有権者は、どの党がいくらバラまいてくれるのかな?って投票先を選んでいる向きもあります。

 

 こんな構図が見え隠れします。

 

これは「公的買収」なんだって幸福実現党は指摘しています。

 

一人の候補者が、不注意で5万円不正支出すると、公職選挙法違反だって党本部の家宅捜査までされるのですが、与党が、公的に何千万円、何億円、実質「買収工作」しても不問に付される日本です。我々幸福実現党はそれを目の当たりにしました。(主導したのは、菅官房長官当時です。)

 

 

結構、恐ろしい世の中になってます。

 

 しかも、官邸は、官房機密費なども使えます。桜とか、河合案里氏の件もそのあたり疑われているわけです。

 

 ところが、下ネタ一つで大臣の首を切れるマスコミは、ここ数年は、消費税を軽減してもらった事とバーターでしょうか?政府と談合して、桜も何もかも不問に付そうとしています。

 

 女性のお尻をおっかけたら、首は切られますが、何億円という公的買収は不問に付されるわけです。

 

選挙の度にエスカレートする公的買収(バラマキ)により、日本政府の借金は、雪だるま式に増え、いまでは一千百兆円とか言われています。

 

 円建ての借金ならどんだけ増えても構わない(MMT理論)、政府はもっと財政出動せよと主張する学者先生は少なくありません。

 

 税金を無駄遣いしてきた、放蕩政府が、緊縮財政で、さらに国民を苦しめることに対する怒りは共感します。

 

 ある著名な大学教授などは、さらなる財政出動ができるなら、山本太郎と共闘しても構わない、そのくらいの熱意です。

 

 もちろん、建設国債で、国土強靭化に充てるというような事には合理性があります。

 

 しかし、MMT理論で、ジャンジャン財政出動するとなれば、さらに「バラマキ合戦」による公的買収も一緒に天文学的に増えていくことになるでしょう。

 

 それは看過するわけにはまいりません。

 

 

政治家にとって、唯一の歯止めは、「国民の血税」大切な税金を預かっているという厳粛な事実の認識です。

 

 しかし、MMT理論から生まれる無尽蔵なお金は、「国民の血税」ではありません。国民の勤労の汗から生まれたお金ではありません。いわば「ニセ金」です。

 歯止めがなくなります。

 

 だから、畢竟、「自助」なんか必要なくなります。

 政府にぶら下がって、怠けたものが勝ちの社会になります。

 

 

このままですと、英国病が再び、今度は、「日本病」として頭をもたげてまいります。

 

 だから、政治家が、真の意味で、「自助」、つまり「自助」が実は、自民党によるバラマキを意味するのでなく、真の意味で「自助努力」を意味するのなら、いま、政治家が、「自助」を言うことはとても大切な事です。

 

 

 皆さんからも「自助」は大切と意見を頂きました。

 

そんな中で、Nさんがコメントを添え、小生の投稿をシェアして下さいました。

 

 

 その中のコメント

 

~五体満足健全な人間が行政の支援に依存せず、自ら汗水流して働き生活する。当たり前じゃないですか。~

 

 こういった当たり前の言葉が、今、日本から消えつつあります。

 

~働かざる者、食うべからず~

 

 いま、政治家がこれを言ったら、首が飛ぶでしょう。

 

働きたくても働けない人を援助することは当然です。政策から生まれるものではなく、神仏の子である人間なら当然のこと。

 

 当たり前の「自助」の精神が、失われたなら、政治家にとってタブーとなったら日本消滅です。

 

 フェビアン主義、民主社会主義、社会民主主義等々、資本主義を修正して、皆で助け合っていける社会を作ろうと、真面目に学者先生が思想を紡いできましたが、 

~五体満足健全な人間が行政の支援に依存せず、自ら汗水流して働き生活する。当たり前じゃないですか。~

 というような自明の理をも、もし、否定するようなものがあるとすれば、何の意味もないと思います。

 

 

 

 

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