自己処罰としての異変 -竹内結子さんの死に想うー | 加納有輝彦

自己処罰としての異変 -竹内結子さんの死に想うー

~テレビで活躍していたり、政治家や財界人や、その他、有名人であった方も、これからバタバタと死んでいきます。それを見て、やはり、世の「無常」を感じるでしょうし、この世的な力が何一つ効かない時代に入っていくことは事実でしょうね。

 でも、私から言わせれば、仏教が説かれた時も、まあ、そんな時代ではあったのです。「人間が無力を感じた時代」ではありました。~p29.30

 

~(近年相次ぐ天変地異、本年のコロナ禍)根本的に「天罰」という考えもあるけれども、「自己処罰」でもあるのです。~p79

 

~「自分自身を偽っている。自分自身を裏切っていること。」に対する反作用は起きてくるんだろうと思うんですよ。~p75

 

「釈尊の未来予言(大川隆法著)2020.4.14収録」

 

 本年のコロナ禍に関してだけでも、既に簡単には読み切れない量の「霊言」が発刊されており、ほんの一部を引用することは、あまりよろしくないとは思います。

 が、人生の盛りの、しかも成功し、人が羨むような美男美女の俳優が相次いで自殺という報道に、「バタバタと・・・」という、ある種の異変を感じ始めてはいると思います。

 

 こういった時に宗教が便乗して、人の不幸に付け込んで教勢を拡大する、宗教には要注意というのが日本人一般の感覚だとは思います。

 

 「天罰」「天罰」といえば、これまた「究極の上から目線」に感じられ、実際、石原元都知事が、東日本大震災に際して、「天罰」という言葉を使用すると、マスコミのバッシングを浴びました。

 

 しかし、有名女優等のショッキングな事件、異常気象、諸々の禍、そう新型コロナウイルスは本年最大の禍の、その淵源に「自己処罰」、自分自身を裏切っていることへの反作用があると指摘された時、深く考えさせられるものがございます。

 

 一人一人の小さいかもしれない、自分自身への裏切り行為、それは畢竟「不信仰」なんだと思いますが、その総体、「世界80億人、総天狗時代」といわれる不信仰の時代の反作用としての現象であると。

 

 女優清水富美加さんが、清水富美加さんであり続けたら、あるいは、さらなる哀しみが待っていたかもしれない。

 

 彼女は、自分を裏切り続ける事を止めた。

 

 戦後日本は、為政者を筆頭に、国民も自分自身をどこかで裏切り続けてきた。すなわち唯物論的繁栄を築き上げてきた。

 

 安倍長期政権で、戦後レジームがさらに強化され、完成したのである。その着地点、飽和点が令和2年であった。

 

 唐突ですが、

朋ちゃんが心配。

 

 

 

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