旧友再会 ~ほろ酔いで~ | 加納有輝彦

旧友再会 ~ほろ酔いで~

旧友再会 ~ほろ酔いで~

 

 実に、アットホームなホスピタリティーに包まれ、3人は、少年に還った・・・なんて書き出しにしたくなるようなひと時を大阪難波駅から徒歩2分の炭焼・備長×和食「さとり」さんで過ごした。

 

厳密な意味で、私とお二人は「旧友」ではない。

過去、リアルに密に接したのは、それぞれ一回しかない。

田中さんは、過去リバティーの取材で自宅においで頂いた。

前田さんは、親戚が岐阜にあり、過去、一度地元の支部にご夫婦でおいで頂いた。

 

 ただ、ネット(Facebook)では長いお付き合いになる。

お二人とも小生の選挙を応援頂いた。

 

 前田さんは、メキシコに赴任されている時、メキシコから応援のコメントを多数頂戴した。

 

 また、何より二人とは法友として約30年の春秋を共にした間柄。これはFacebookの他の皆さんとも同じ関係である。

 

我らの奮闘努力の春秋、歳月は、我らを戦友の紐帯で結んだ。

 今回の一献で我らはお互い煩悩愚足の身であることを再認識し、謙虚な思いで、深い心の交流ができた。笑。

 

得難きものは法友なり。

 

 そんな3人が、人生で初めて一献傾けたのだから、これは「旧友再会」の感慨が終始場を支配した。

 

 嬉しかった。

 

 また、田中さんはHSUで教鞭をとっておられるが、「さとり」さんの娘さんが、かつての教え子であって、師弟の再会の場ともなった。

 

 ほろ酔い気分で、

語り合った内容は、さすがハッピーサイエンス

 きどって、鼻持ちならないイヤな奴と思われるかもしれませんが、(笑)

 

・キルケゴールの「愛について」を読んでから田中先生が、モットーとされたある「考え方・行動」

 ※これには、大いに感銘を受けた。これを聞いて、田中先生のある行動の一端を理解できた。

 

・男はつらいよの寅さんのマドンナに対する「断念」から、ローマの休日に見る「永遠なるものの影と美」について、そして総裁先生の大学時代と商社時代の恋愛について・・・

 ※田中先生の「恋愛においては成就しないがゆえに見えてくるものがある。それは「永遠なるものの影」

 このくだりでは、ほろ酔いも手伝っておもわず込み上げるものがあった。

 

 無常であることが、永遠性を想起させる。
帰宅後、何十年かぶりに「ローマの休日」を鑑賞した。そして「仏法真理で読み解く名作映画」田中司著のローマの休日の解説を読み、この映画の永遠性を理解した。

 

・教え子の娘さんが配膳の間隙をぬって参加、「アマデウス」という長編映画になぜ興味を持ったかを田中先生は質問された。その答えは意外なものだった。現代にゲームの果たす役割は大きいと一同認識。

 

・私は、十代後半、庄司薫氏の小説のファンだった。そこで、私が、田中先生に「東大卒の鼻持ちならない薫くん」を著した庄司薫氏を投影していたことを語ると、こんど、田中先生はタートルネックを着用して頂くことになった。笑。

 

・前田さんが愛妻家である事は承知していたし、私は投稿されるお二人の写真を見るのが好きだった。

 妻への「愛と感謝」を少年のように「朗朗」と語る前田さん。

結婚生活の現実を聞き、幻滅する若者がいるとしたら、前田さんご夫婦を見よ!といいたい。

 ぜひ、前田さんには、ハッピーな結婚生活について、HSUの教壇に立って頂きたいと真剣に思った。

 

 宴の最後に合流した奥様に聞いた。

「道中、くしゃみでませんでした?」

 

 すると、奥様は瞬時に私の質問の趣旨を理解し、

「はい、くしゃみが出ました」と。さすがのリアクション。

 

まこと得難きものは「さとり」

得難きものは「法友」

 

 前者は永遠に道の途上でありましょう。

 しかし、今回、おいしい料理のしあわせ感の中で楽しい旧友再会を果たせた事、得難き法友を主の慈悲により得たこと、

 

 嬉しかったです。

 

 

全員の集合写真は、塩田さんから拝借いたしました。