親魏倭王銘 金印

 

其年十二月、詔書報倭女王曰、制詔親魏倭王卑彌呼。

帶方太守劉夏、遣使送汝大夫難升米・次使都市牛利、

奉汝所獻男生口四人・女生口六人・斑布二匹二丈以到、

汝所在踰遠、乃遣使貢獻、是汝之忠孝、我甚哀汝、

今以汝爲親魏倭王、假金印紫綬、裝封付帶方太守假授、

汝其綏撫種人、勉爲孝順。

汝來使難升米・牛利渉遠、道路勤勞、今以難升米爲率善中郎將、牛利爲率善校尉、

假銀印青綬、引見勞賜遣還。

 

(書き下し文)

 

其の年(景初二年)十二月、

(明帝は)証書を報じて倭女王に曰く、

【親魏倭王卑弥呼】に制詔す。

「帯方太守劉夏、使を遣わし、汝の大夫難升米・次使都市牛利を送り、

汝の献ずる所の男生口四人、女生口六人・班布二匹二丈を奉じ、以て至る。

汝の在る所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢献す。

此れ汝の忠孝なり、我甚だ汝を哀れむ。

今汝を以て【親魏倭王】と為し、

金印紫綬を仮し、装封して帯方太守に付し、仮綬せしむ。

汝、それ種人を綏撫(すいぶ)し、勉めて考順をなせ。

汝が来使、難升米・牛利、遠きに渉(わた)り、道路勤労す。

今、難升米を以て率善中朗将と為し、牛利を率善校射と為し、

銀印青綬を仮し、引見労賜し、還し遣わす。

 

(現代語訳)

 

景初二年十二月、(明帝は)証書を表明して、倭の女王(卑弥呼)に伝えた。

【親魏倭王卑弥呼】に制証する、と。

 

この言葉の主語は明らかに当時三十四歳だった明帝(曹叡)である。

明帝を継いだ当時七歳の曹芳の言葉にしては、あまりにも老成してみえる。

曹芳の後見人例えば司馬懿辺りの代筆とする説も在るが、すると又話が面倒になる。

つまり、卑弥呼の朝献・景初二年説が此処でも成立つわけである。

 

此処で倭女王卑弥呼が【親魏倭王】に制証されているが、

一方で魏は西アジアの大月氏国ともよしみを結び、曹真らの働きにより、

明帝は229年に、大月氏王波調に【親魏大月氏王】の称号を贈っています。

大月氏国は紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけ、中央アジアに存在した遊牧民国家で、

月氏は匈奴と争って破れ、西に移動して大月氏と呼ばれ、大夏を併合し立てた国です。 
三国時代の魏は呉を牽制するために卑弥呼に【親魏倭王】の称号を贈ったように、

蜀を牽制するために大月氏王の波調に【親魏大月氏王】の称号を贈っているのです。

 

帯方太守・劉夏は使(先の劉夏が派遣した文の中では吏とある)を派遣して、

汝(卑弥呼)の遣わした大夫・難升米と次使・都市牛利(としごり)を送り、

汝の献上する男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉じて、洛陽に至る。

 

一般的に生口は奴隷と云われているが、実際の生口は留学生の可能性もある。

生口は後に倭国が唐に派遣した遣唐使と同じようなものと考えるべきである。

 

汝の住む所は遥かに遠いけれども、このように使者を遣わして貢献してきた。

此れは汝の忠孝であり、我は甚だ汝を哀れむ(慈しむ)ことである。

(その為)今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し(仮に与え)、

装封(密封)して帯方太守に付し、仮授(仮に与え)よう。

 

此処で、なんでいちいち(仮授=仮に授ける)のかが気になる処であるが、

当時皇帝からの授け物は全て倭国を管轄する役所が有る所、

即ち帯方郡を通じて、下々の者(ここでは倭王)に与えられていたわけである。

だから、証書と金印紫綬は準備が整ったら(洛陽で作成されたら)、

一旦帯方郡に送られて、後に帯方太守の任命した正使(帯方郡使)が遣わされ、

改めて倭王に与えられることになっていたのである。

だが、この制度も状況が緊迫して来ると、こんな悠長なことは言っていられなくなる。

だから、正始四年に遣わされた倭使の掖邪狗等に対しては、

率善中郎將の詔書と印綬を壹拜(皇帝から直接与えること)しているわけである。

この壹拜を使者全員に率善中郎將が与えられたと解釈する人がいるようだが、

それは間違いである。率善中郎將の称号はそんなに安っぽいものでは無い。

 

汝、そなたの国民を綬撫(慰め労り)て、勉めて(我に)考順(孝行)を為せ。

汝が遣わした使の難升米と牛利は、はるばる遠路を来られて御苦労であった。

今、難升米を率善中朗将に任命し、牛利を率善校射に任命し、

銀印と青綬を帯方郡に託して仮りに与え、

(私自らが)招き寄せて、その苦労をたたえ、

倭国に送り還してあげよう。

 

ここで明帝は、倭使を倭国に送り還してあげようと云っている。

まさにこの言葉により、倭使を倭国に送り還す為に、

正使では無い、仮の帯方郡使が遣わされたのである。

 

 

 

 

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