(原文)

 

其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人、

上獻生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木フ・短弓矢。

掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。

 

其六年、詔賜倭難升米黄幢、付郡假授。

 

(書き下し文)

 

その四年、倭王はまた、大夫の伊声耆・掖邪苦等八人の使を遣わし、

生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木フ・短弓を上献す。

掖邪苦等は率善中郎将の印綬を壱拝(いちはい)す。

 

その六年、証して倭の難升米に黄幢(こうどう)を賜い、郡に付して仮綬せしむ。

 

(現代語訳)

 

その(正始)四年(西暦243年)、

倭王(卑弥呼)はまた、大夫の伊声耆(いせき)・掖邪苦(えやく)等八人を使として遣わし、

生口・倭錦(やまとにしき)・絳青縑(こうせいけん~深紅色と青色の薄絹)・

緜衣(綿で出来た衣)・帛布(はくふ~絹布)・丹( 辰砂 - 硫化水銀からなる赤色の鉱物)・

木フ(ゆづか、弓柄で、弓の中央の手にとるところ)・短弓を献上した。

掖邪苦等は率善中郎将の印綬を帝から直接授かった。

 

その(正始)六年(西暦245年)、

(魏帝は)証を書き、倭の難升米に黄幢を賜(たま)い、(帯方)郡に付して仮に授けた。

 

ここで、壹拝とは使者全員が印綬を一度に戴いた意味だと思ってる人が多いようだが、

名誉ある卒善中朗将の資格をそれ程ぽんぽんと簡単に与えられるはずがありません。

実際最初に難升米と都市牛利が朝献した時も卒善中朗将を戴いたのは難升米だけで、

都市牛利の方は卒善中朗将の次の位となる卒善校尉を与えられただけでした。

 

この時代に魏帝が使者や王に印綬や下賜品を授けるときは、大抵形式が決まっており、

皇が一応、仮に授けたことを宣言し、実際はその後魏の工房で作った印綬や下賜品を、

一旦、帯方郡に託して、帯方太守が任命した使者が倭国の王都に届けていたようです。

卑弥呼が明帝から親魏倭王の印綬と下賜品を授かった時もそうでしたし、

この次にある、難升米が黄幢を授かった時もそのようにしたと書いてあります。

 

つまり、壹拝とは使者が帝から印綬を直接拝礼した(戴いた)意味だと思われます。

この時は魏が前もって用意しておいた印綬を、皇帝が伊声耆と掖邪苦に直接渡した。

だからこの度は仮授でなく、皇帝に直接拝礼して授かった(壹拝)と書いてあるのです。

但し、この時印綬を頂いたのは伊声耆と掖邪苦だけで、残り六人は与えられていない。

それでも二人に卒善中朗将を与えたのだから、魏としては大盤振る舞いだったようです。


そして、黄幢を難升米に授けたことは魏帝(曹芳)は(帯方)郡に付して仮授したとある。

黄幢の場合も、帝が使者に与えると宣言したときに、まだ実物は存在しないのであり、

その後魏の工房で製作した黄幢を帯方郡に付し、使者の張政が倭国に届けるのである。

 

 

ところで私は、これ等の貢献の倭使の帰りには必ず魏使が送っていき、

魏使の帰りには必ず倭使が送っていったのだろうと考えたわけです。

つまり、倭使と魏使はお互いに相手を送っていくことで、

例年、魏と倭国の国同士のやり取りが長く続いていたのでしょう。

その辺りを時系列経過で示してみますと、

 

景初二年 倭使(難升米・都市牛利)帯方郡~洛陽訪問、 

景初三年 倭使帰還 仮の魏使(帯方郡使)が伊都国迄送還、

景初三年内 仮の魏使(帯方郡使)は単独で伊都国から帯方郡まで帰還、

正始元年 魏の正使(帯方郡使・梯儁ら)、 倭国の王都・邪馬台国を訪問、

正始二年 魏使(梯儁ら)帰還 倭王卑弥呼、因使上表、答謝詔恩 倭使送還

正始三年 倭使帰還 魏使送還 (この倭使と魏使はあったかどうか不明)

正始四年 魏使帰還 倭使(伊聲耆・掖邪拘ら八人)送還

正始五年 倭使帰還 魏使送還 (この倭使と魏使もあったかどうか不明)

正始六年 魏使帰還 倭使(難升米)ら送還 難升米は二度目の派遣

正始七年 倭使(難升米ら)帰還 魏使送還 

正始八年 魏使帰還 倭使(載斯・烏越ら)送還 

       (帯方郡から)倭使帰還 魏使(塞曹掾史・張政ら)送還

正始九年 魏使(張政ら)帰還 倭使(掖邪拘ら二十人)送還

 

つまり、このやり方で行くと、

卑弥呼の冢建立と、第二次倭国大乱、台与の擁立による倭国大乱の終息、

及び張政による台与の檄を以ての告喩は、いずれも一年以内の出来事である。

 

景初三年のみ、魏使としての帯方郡使は、単独で倭国から帯方郡に帰還している。

正始八年のみ、帯方郡を拠点に倭使(載斯・烏越ら)の送還と帰還があり、

          帯方郡から塞曹掾史・張政らが黄幢と共に倭国に派遣されている。

このことを魏都・洛陽に知らせる為に帯方太守・王頎は、自ら馬を飛ばしたらしい。

 

 

 

 

 

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