神武東征物語の実情に関して私の考えるには、

二代目天照大神である台与の時代に九州北部にあった倭国=女王国連合は、

先代の女王・初代天照大神であった卑弥呼が魏に朝献し、

明帝から【親魏倭王】に制証され、同銘の金印を頂いたことから、

宗主国の中国から女王国連合=倭国は倭の統治を認められたとして、

豊葦原中国の大王であった大国主の命を攻めて国譲りを認めさせたと考えている。

(この時の高天原=女王国連合の大将軍が武御雷神だった、)

(布津主神はこの時武御雷神が使った布津主剣が神格化されたもの、)

(だが、『日本書紀』では何故か、剣の方が大将軍となっている。)

 

『記・紀』では大国主命の息子、事代主命が美保の岬で、

天ノ逆手を打って青柴垣に変えてその中に隠れた=死んだとしているが、

私はこの時死んだのは大国主命自身だったと考えている。

その証拠に事代主神は生きていて神武東征物語で再び登場するし、

杵築神社=出雲大社は大国主命の霊を慰める神社だからだ。

 

倭国政権は国譲りで倭国の範囲を西日本全体に勢力圏を拡大させると共に、

神武東征で倭国の王都・邪馬台国を国の中心となる畿内登美に東遷させたのである。

 

この場合の東遷とは明治維新で日本の首都を京都から東京へ遷都させた時と同じで、

東遷したのはあくまでも首都=王都の話であり、

人の移動は支配者と軍人だけで、庶民の殆どは筑後山門に留まったのである。

 

畿内に新たな王都を築いた九州人たちは故郷の山門国を偲んで、

新王都である畿内登美を畿内のヤマト国と呼ぶようになった。

 

但し文字の方は国名の倭国から採って、

より大きな倭国になったという意味で大倭国と書いていたが、

中国文化が日本に伝わり、倭が悪字であることを知ると、

良字の和に変えて大和国と書き改めたようである。

 

この考え方以外に大和国をヤマト国と読む理由は見つからない。

普通はダイワ国だろう。

 

 

 

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