音楽とアートと詩と……。 いつか見た懐かしい世界へ

忙しく過ぎる時間の中で貴方のそして私の
心のやすらぎとなりますように……。 空野くらし

ドナルド・フェイゲン 「 Snowbound 」 1993年

2020年03月24日 | 音楽
ドナルド・フェイゲン 「 Snowbound 」 1993年

 軽やかなスネアの音やクローズハットの音が耳に心地よい。
( リズム全般が素晴らしいです。)ドナルド・フェイゲンさんの 「 Snowbound 」 は
2枚目のCDアルバム( 1993年発売 )「 KAMAKILIAD 」の中の1曲です。

( 以下はウィキペディアを参照しました。 敬称略。)
ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは、1971年にグループを結成します。
彼らはこのバンドの中心メンバーであり、共同で作曲。
ツアーやレコーディングではフェイゲンはキーボード演奏を担当し、
またレコーディング曲ほぼ全てのリードボーカルも担当しています。
印象的なコード転調などが彼らの楽曲の主な特徴である。
72年にはラテンの影響を受けた「ドゥ・イット・アゲイン」が初のヒットとなり、
さらに1974年に「リキの電話番号」はアメリカだけでなく日本でもヒットします。

74年のサード・アルバムを発表した後ほかのメンバーはバンドを離脱し、
スティーリー・ダンはフェイゲンとベッカーが率いるスタジオプロジェクトに変化し、
以降アメリカのジャズ、R&B、クロスオーバー、ロックのスタジオミュージシャンの
精鋭を集めてレコーディングするのが主要な活動となります。
1977年にはアルバム『彩(エイジャ) Aja』がプラチナディスクに認定される大成功を収めます。
同アルバムからは「ペグ」「ディーコン・ブルース」などがヒットしました。

1981年にスティーリー・ダンを解散した後、
フェイゲンは初のソロ・アルバム 『ナイトフライ The Nightfly 』(1982年)を発表、
スティーリー・ダン時代の作品に匹敵する評価を得ます。
同アルバムからはレゲエ調の「I.G.Y.」がヒット。 彼は音楽雑誌に寄稿したことがあり、
ヘンリー・マンシーニやエンニオ・モリコーネの機知に富んだ作品などについて論評しています。
1980年代、フェイゲンは映画や多くの他のアーティストのための作曲や、
ニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビュー(英語版)に参加してのツアー活動などを行った
(彼はニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビューのプロデューサーであったリビー・タイタスと1993年に結婚している)。

フェイゲンのソロ・アルバム第2作『カマキリアド Kamakiriad』(1993年)はベッカーによってプロデュースされました。
これがきっかけで彼らの作曲チームとしての再結成と、スティーリー・ダンとしての新たなツアー活動の創造が実現した。
翌年にはフェイゲンはベッカーのソロ・デビュー作品『11の心象 11 Tracks of Whack』を共同でプロデュースしています。
この2人組によってスティーリー・ダンは新たな体系でより確固としたものとなり、
スティーリー・ダンとしての新しい2つのアルバム『トゥー・アゲインスト・ネイチャー Two Against Nature』(2000年)と
『エヴリシング・マスト・ゴー Everything Must Go』(2003年)や
ライブCD「アライヴ・イン・アメリカ Alive in America」、ライブコンサートDVDなどをリリース。

フェイゲンは2006年に3作目のソロ・アルバム『モーフ・ザ・キャット Morph the Cat』を、
2012年10月には4作目のソロ・アルバム『サンケン・コンドズ Sunken Condos』をリリース。
2017年9月、同僚ウォルター・ベッカーが死去。
フェイゲンはスティーリー・ダンを継続し、以降も精力的に活動しています。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。