こんばんは!


人の傷に寄り添う姿に感銘を受け、「自分もこうありたい!!」と心から思ったところなのですが、

今回読んだ一冊で、
「寄り添う」ってそんな簡単なことじゃないよな〜〜と痛感させられました。
(『包帯クラブ』でも寄り添うことの難しさは描かれていますが)




三浦綾子『塩狩峠』(新潮文庫)


三浦綾子さんは、代表作『氷点』を読んで大好きになりました。

『続・氷点』ものめり込んで読みました・・

三浦綾子『塩狩峠』は、実直でまじめな男・永野信夫の生涯を通して信仰の奥深さと罪の複雑さを描き上げた長編小説です。


「罪」については『氷点』でも大きなテーマとして取り上げられていますが、『塩狩峠』ではもう少し踏み込み、キリスト教の信仰を描くことで人々が抱える罪への向き合い方を提示した物語になっています。


信夫が生まれたのは明治初期。
母は信夫が生まれたときに亡くなったと言われ、厳格な父と祖母に厳しくしつけられて育ちました。


信夫は母のいないことを寂しく思いつつも、厳しくも可愛がってくれる祖母に親しみをもっていましたが、ある時父とふたりで出かけたときに、父に向かって「おとうさん」と呼びかける少女と出会います。


幼い信夫は事態がのみこめず、それを祖母に伝えると祖母は激昂。
祖母は激しく父を非難し、その勢いのまま突然死してしまいます。


祖母の死後、呆然とする信夫の前にひとりの女性があらわれ、目をうるませますが、信夫は首をかしげるばかり。


なんとその女性は信夫が祖母から亡くなったと聞かされていた母その人で、「おとうさん」と呼びかけた少女は信夫の妹だったのです。


父と母は結婚を約束していたものの、母が「ヤソ(キリスト教信者)」だと知った祖母が強く反対し、議論の末に母は家を出て行ったという背景があったのでした……。


当時はキリスト教信者はきわめて少なく、忌避・迫害の対象とされていたのでした。
「信夫を士族の子として育てる」という思いが強かった祖母は「ヤソ」を強く拒絶し、母を受け入れようとしなかったのです。


祖母の死後、晴れて家族そろっての暮らしが叶いましたが、信夫は嘘をつかれていたことのショックと異教徒の生活の慣れなさからくる違和感がぬぐえず、しかしうまく言葉にすることもできず、そのため口数が少なくなり、常に自分の思いを胸に秘めるようになります。


そんな複雑な思いを抱えた信夫を救ったのが友人で、信夫は吉川という友人の心のりっぱさに感心し、心の清らかさ・立派さに興味を持つようになるのでした。


「心の清らかさ」を考えることは裏返って「罪深さ」を考えることでもあります。
信夫はしばしば自分が清らかでない欲求にとらわれることに思い悩み、こらえきれずに吉川にも相談します。


自分の心の内の話だけならまだしも、世の中にはこうした「罪深さ」は蔓延していることを痛感し、信夫はさらに「罪」ということについて深く思いを馳せるようになるのです。


やがてその想いは「信仰」へと結びつきます。
さまざまな思いがめぐり、信夫は東京から北海道へ居を移します。
北海道には旧知の友の吉川と、信夫がひそかに惹かれる吉川の妹・ふじ子がいるのでした。


北海道での暮らしは信夫の心にさまざまな刺激と気づきをもたらします。
信夫はあることをきっかけに複雑な幼少期のために敬遠していたキリスト教に目覚め、みずから日曜学校の教師として教えるようになるほど深くのめり込んでいきます。


信夫が聖書のなかで特に惹かれたのは、「隣人を愛する」ということ。
「隣人」にどれだけひどいことをされても許し、愛し、そして「隣人」のために尽くしたイエスの生き様に強く惹かれ、信夫はそれを実践しようと決めます。


信夫は職場で不祥事を起こした同僚を説得し、上司のもとに共に謝りに出かけ、ついには不祥事を起こした同僚とともに旭川の異動を命じられたのをこころよく受けます。


信夫の行為に周囲は驚き、また困惑します。
「自分に利がないのに、人のためにどうしてそこまでするのか?」
不祥事を起こした同僚はそう強く思い、しばしば信夫につっかかりますが信夫は相手にせず、自分の信仰心を強めるばかりなのでした。


そしてついに、信夫の信仰心を決定付けるできごとが起こります。


場所は旭川の塩狩峠。
札幌に向かう列車が峠の途中で突如切り離されてしまう事故が起こります。


コントロールのきかない列車に凍りつく乗客。
このままでは列車が脱線し、全員が助からなくなってしまう……。
その状況下で立ち上がったのは、ほかでもない信夫だったのでした……。


この物語を読むと、信夫の人生は、登場人物それぞれが持つ複雑な事情に大きく影響され、形作られているということがよくわかります。


キリスト教が忌避されていた文化背景、異教徒を許せない祖母、信仰を曲げない母と板挟みになり続けた父、立派な友人の吉川、信夫に清らかでない思いを抱かせるふじ子、職場の上司、同僚など、信夫は成長とともにいろんな人のいろんな事情を知っていきます。


彼らの生き方がぶつかり合うことで信夫の人生は振り回されていきましたが、信夫は彼らの誰もが間違ったことをしているようには思えません。
何が正しくて何が間違っているのか?そもそも絶対的な正解などあるのか?
信夫は悩みながらそれぞれの立場や思いを想像し、できるだけ寄り添おうとしていくうちに「信仰」に出会い、目覚めるのです。


信夫が実践しようとしたことはいたってシンプルなことです。
隣人を愛する。
これは、家族が隣人を愛せなかったことで幼少期に悲しい思いをした信夫にとっては人生の課題のようなものだったのかもしれません。


しかし、これだけシンプルなことでも、やりぬくのがどれだけ大変なことかを信夫は思い知らされます。
自分の未熟さを痛感し、未熟さを自覚するからこそ信仰にのめり込んでゆくのです。


信夫の生き様を通して、わたしは誰かに寄り添うことを軽く考えすぎていたと反省しました。


「寄り添う」ということは、その人の複雑な事情と苦しみを背負うことでもあり、寄り添うからにはそれなりの覚悟を持っていないと自分の心がまいってしまいます。


誰かに寄り添いたい!と思うよりまず先に自分の心が揺らがないように「しっかりさせる」ことがまず大切だということをこの物語を読んで強く感じました。
そう思うと信夫が信仰にあそこまでのめり込んだ理由が少しわかった気がしました。


これはわたしが選書サービスやコーチングサービスを通して「誰かの気持ちに寄り添いたい」と思っているからこそそう思ったのですが、この物語を読んでいると「覚悟はできているのか?」信夫に問われているような気がしました。


信夫のように犠牲的に生きられるだろうか?というと、まだ自分はそこまでには至れません。
正直「これまでたくさん人に気を遣ってきた」と思ってますし、「だから少しぐらい我を貫いてもいいんじゃないか」とか思ってしまいます。笑


でもこれは小説のなかの話だから、と思いたいところですが、この物語は実際にあった事故をもとにつくられたストーリーで、信夫のモデルとされる人物が実在していたのです。


わたしには到底たどり着けない心の境地に立つ人が実在していたということに衝撃を受け、自分の未熟さを思い知らされました。


未熟さを痛感するからこそ、未熟さを自覚して「寄り添う」鍛錬を続けていくしかないな、と、結局いつもの結論(自分の弱さと戦っていくしかない、という)にたどり着くのでした……。


キリスト教の教えをきちんと学んだことがなかったので、この物語ではわかりやすく描かれていてとても勉強になりました。


誰かを許したい、誰かに優しくありたい、自分の心を整えたい、と思う人にはとても響くものがある一冊です。
信夫のりっぱで清らかな生き様に感服させられっぱなしでした。


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