eu-balance〜インナーチャイルド・フラワーエッセンスセラピー〜

インナーチャイルドの勘違いを紐解き、自分の本質と軸を取り戻して、喜び溢れる生き方へのシフトをお手伝い

サロン名変わっております

2023年08月21日 | お知らせ
大変ご無沙汰しております。

サロン活動も一時期中断しており、その間に結婚・移住と怒涛の変化でしたが、
たまにブログや限定セッションをこちらでアップしております。

エセンシア 

スローペース更新ですが、ご覧いただけたら嬉しいです✨

最後のメッセージは『家族愛』

2019年11月25日 | 介護・認知症
SNSで繋がっている方には、山ばっかり登っていてこの人何しているんだろう、
って思われてそうですが、ここ半年ほど水面下では怒涛の日々でした。

まず、8月に7年勤めた会社を退職。辞める時点でその先の予定は何も立っていなかったのですが、
何か辞めなければならない、という衝動にかられ、、、直感というのでしょうか。
後から思うと本当にベストなタイミングで退職したなと思いますが、
8月は旅行三昧で帰京してきた月末に父の一周忌を終えた直後に、母が誤嚥性肺炎に。

認知症が始まったのが正確にいつか、もうもはや分からないですが、
父と正反対の介護ニーズを持つ母の認知症介護が始まり、
全身麻痺の父とのダブル介護で、私も一時期は本当に疲弊して、、、
(こんなブログも書いてました…『親が認知症になったら』
よく乗り越えたなって今は思いますが、最後は取り付く島もなくあっという間に逝ってしまった父と違った、
母の看取りという経験をすることになりました。

医師の親友も色々聞いてくれて、拘束しない医療をしてくれる病院に入院という選択肢もなくはなかったですが、、、

(認知症の人が入院すると本当に見ているのも辛いような拘束状態で治療されることもあり、
それを以前経験していたので、それだけはどうしてもできないと強く思っていたのです)

誤嚥性肺炎はそもそも嚥下機能の低下で起きていること。

すでに吸引がときどき必要な状態になっていた母の肺炎を一時的に治したところで、
また同じことの繰り返しになることは火を見るよりも明らかでした。

しかも、入院が施設より遠い場所で、更に長期化してしまえば私もいつまで付き添ってあげられるか分かりません。

元々病院嫌いで、ハーブやアロマなどの自然療法の種を私に植え付けたのは母です。
その母が無理な延命治療など、ましてや管に繋がれたまま最期を迎えることなど望んでいるはずがない・・・

元気だった頃の母の意思を尊重し、住み慣れた老人ホームでの看取りを選択し、
涙を流しながら看取り同意書にサインをしました。

しかし、この治療を選択しない、という選択のプロセスはそれが本人にとって、
そして家族にとって納得できるベストだと分かっていても、本当に辛かった。

決めてからも数日間、横で付き添いながらずっとずっと、
『まだ病院に送ったらなんとかなるんじゃないか』という思いが横切り、
顔が変わってしまいそうなくらい泣いていました。

最初は話しかけると反応があって、色々質問すると頷いたりしてくれていたのですが、
それでも『食べたい?飲みたい?』と聞くと、口を真一文字に結んでうんともすんとも言ってくれません。
母も自分の旅立ちのタイミングを、もう分かっていて、
無理はしたくないのだなと本能的に感じました。

そして、日毎に食べられる量、水分摂取量が減っていき、、、
母の肉体が死に向かっていることは、不可逆だとようやく腑に落ちた日、
母が見たいのは私の泣き顔ではなく、笑顔のはず、と気を取り直し、
いつものように話し掛けたりできるようになりました。

もういつまでそこにいてくれるか分からない母の手を握って、
横で話しかけたり本を読んだり、ただただ静かに母との時間を過ごし、寄り添っていました。

※その時読んでいたこの本が、気持ちを落ち着かせてくれました↓
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)

友人がくれたこの本も…
普及版 モリー先生との火曜日

もう何日もほとんど水も飲めず、目からもどんどん光が奪われていくような母でしたが、
ちょっと作業をしようと、繋いでいる手を離そうとすると、きゅきゅっと握り返してくるのです。

幼稚園に通うとき、いつも繋いでいた母の手。。。いつも温かかった母の手。。。

もう随分痩せ細ってしまっていたけど、変わらず母の温かい手でした。

肺炎を患っていただけに、息遣いも荒かったけど、
何か出産シーンを見ているようで、生と死が行き交う場面の神秘を感じました。



私はこの母から生まれてきた

母の魂の旅立ちを見守ろう



母の兄弟が集まってくれることになっていたその日の朝、
一番遠方のおじが家を出る直前に母は静かに息を引き取りました。

まるで『もうまたすぐ集まるんだから、二度も来なくていいよ』という気遣いかのように。。。

母が息を引き取ったその日、母がずっと手入れをしていたボランティアの花壇で咲き始めた、アメジストセージ。


花言葉を調べてみたら『家族愛』でした。
いつも家族を優先して、小さい頃は手作りのお菓子がほとんど、服も沢山作ってくれていた、そして花が大好きだった母らしいメッセージ。

もう最後に私の名前を呼んでくれたのがいつだったかも覚えていないほど、
最近は会話もあまりまともに成り立たなくなってしまっていて、
母とは長い長い時間を掛けて、ゆっくりお別れをしているのだと思っていました。

だから覚悟はできているし、心の準備もできているだろうと。

だけど、実際は想像以上の、全身で感じるかのような感情的体験でした。
もう介護時代のあれこれや、いろんな思い出が、
いいことも悪いことも走馬灯のように思い出されて、感情が吹き出し、葬儀が終わるまで、毎日泣いていました。

要望や主張がはっきりしていて、その要望を打ち返せるだけ打ち返しておけば良かった父の介護。
認知症介護はそもそも本人の意思表示を汲み取るのがなかなか難しい。。。
父の介護はやりきった達成感すら感じていましたが、母の介護に関しては、
何かもっと違う風にできたのではないか、そんな思いも渦巻いていたのだと思います。

でも葬儀に母の古いお友達が何人も来てくださり、長い間会えていなかった親戚もいろんな話を聞かせてくれ…

母の人生も晩年は大変だったけど、若い頃は登山や旅行も沢山して、楽しいことも一杯あったこと。




あんなに『私は自信がない』と言っていた母が、学級委員みたいなことをよくやっていたこと。


建築士としてある意味キャリアウーマンの先駆けだったこと。


私を凄く頼りにしてくれていたこと。


そして何より本当に愛して育ててくれたこと。



黒かったオセロのピースがカタカタと白いピースにひっくり返っていくかのように、母と母の人生に対するイメージが変容していきました。

占星術で死と変容、ヒーリングは全部同じ部屋に象徴されているのが、これほど腑に落ちた経験もありません。

母の死を以ってしか知り得なかったこと、私が癒やされなかったこと、沢山あって、
側で時間を掛けて看取らせてくれたことに今では心の奥底から感謝です。

そして、喪失って、寂しいけれど、結局自分がどれだけ愛されたり享受していたかを実感するプロセスなんだなと。
だから、結局は何も失っていない。むしろ、より深く愛を認識させられた気がします。





これからご両親が認知症になる可能性がある方も、既になっている方もいるかもしれませんが、

介護欝から看取りまですべて経験してみた私の個人的見解では、
認知症は本人が選んだ『店仕舞の仕方』なんじゃないかなと思っています。

周りは是非、良い悪い、正しい正しくない、というジャッジを捨てて、
ありのままのその方を感じて接した方が上手くいくのじゃないかなと、、、
というか、それが周りの人にとってのレッスンなんじゃないかと思います。

だから、もし認知症の人が現れたら、
躍起になって正そうとか、治そうとかする前に、まずご自身のあり方に目を向けてみてください。

いや、過去の私がそれを出来たかは分かりません(笑)
でも今なら絶対その方がお互い楽になると言えます。

このことはまたもう少し折を見て書いていきたいなと思っていますが、
世の中に左脳でジャッジする人が増えれば増えるほど、認知症は増えていくんじゃないかと思っています。
陰陽は常に半々ですからね。
迷ったときは是非ハートと愛で選択して欲しいと思います。

そんなこんなですが、実は不思議なご縁で来月からフルタイムの仕事も決まり、
サロンやセッションのやり方も以前のままというのは違和感を感じているので、
現状のサロンは一旦閉じることになりそうです。

ただ、自分の介護経験を参考にして下さる方もいるようなので、これからは発信しつつ、違った形で活動できればと思ってます。

父と母の死を通して、自然界のタイミングの完璧さに、人のマインドのちっぽけさを思い知らされた感覚があり、、、
最近あまり左脳に偏らずに、直感で行動してみよう!という感じでやってますが、意外とその方が上手くいく気がしています。

常に自然との繋がりを意識させてくれた母。
自分も大いなる自然の一部でしかない…自分の気持ちと直感に素直に寄り添っていれば、そこに答えはあるはず…
ということで、最近は自分軸にいかに集中するかがテーマです。

ママ、沢山の愛と学びをありがとう。
パパと正反対の生き方、逝き方を見せて、私の幅を広げてくれてありがとう。
あなたの娘でよかった。
最後のママの清流のような澄んだエネルギーを私はいつも心の中に大切にとっておきます。


被害者意識から抜ける

2019年04月20日 | ヒプノセラピー

なんとブログを書かずにほぼ2ヶ月が経過しておりました💦

このところ、変化に次ぐ変化で、終始バタバタとしていました。

いや、なんていうのか、年明けには想像もしていなかった感じになってきています。

 

もちろんいい変化も沢山あるのですが、

実はすごくストレスを抱えていたことがあって、、、

当初嫌で嫌で逃げ腰だったのですが、

去ってしまってもいいけど、

まぁ全部手を尽くしてからにしようかな、と

去るのは全てやってからでいいや、って割り切ったら

楽になって、相手に渡してしまっていた主導権を

自分に取り返す、まではいかないけれど、

どっちにも別に優劣はないなという感覚に変わってきました。

 

で、この2ヶ月間、同時進行で、

ホメオパシーを試してみています。

 

実は代替医療系のものは色々試していたけれど、

ホメオパシーは試したことがなくて、

とある先生に『りささん、実はホメオパシー合ってるかも?』

とご紹介いただいて、先日の2回目。

 

どうもホメオパスの先生、何か見えているのか、感じているのか、千里眼なのか、

上記の私が居心地が悪くなっている場所のこともお見通しで、

更に話を進めていったときに中高時代に

『いじめ』にあった話に。

詳細割愛しますが、母校に暫く一筋縄でいかない感情を持っていたくらい、

なかなかのシチュエーションがあったのですよ。。。

 

なんですがね、私、いじめられてた、って思ってたけど、

その先生がおっしゃるではないですか。

 

『うーん、多分その彼女は、いじめている感覚はなくて、

先に自分が傷つけられたと思って、それで仕返ししていたんだと思いますよ』

 

え!

先に私がなにかしていた!?

うっそ、まじですか?

 

って感じで一瞬ぽかんとしましたよ。笑

 

でも、今となっては思い出せないけど、

元々その同級生とは一時仲良くて、でもぶつかり合う感触がある人で、

だから、なんか私も意図せず、いらんこと言った可能性は否定できない…😅

 

そういう視点で思い返すと、

確かにいじめっていうよりかは、

『ムカつく!』っていう攻撃性をすごく感じるものが多かったような…。

 

変な話ですが、

そんな強い同級生が、エネルギー使って潰そうと思ったってことは、

私は弱い者いじめをされていたわけでなく、

潰さなきゃいけないほどの存在だったのかー

って思ったら、

相手に預けてしまっていた力を取り戻した感覚になりました。

(だって、どーでもいい人だったら、何もしないですよね…)

 

で、何が言いたいかというと、、、

結局、被害者の視点でいる限り、

相手に力を渡してしまっている状態で、

相手に原因も力もあり、自分は非力で結果でしか無い。

つまり何も変えられないのです。

 

全て起きていることは自分の潜在意識の投影であったり、

潜在意識を変える必要があってだったり、

もしくは先に自分が原因を作っていたり、、、

つまり、自分起因で起きているっていう視点に立つと、

どんな状況でも、なんらかの糸口が見え始めてきます。

 

これめっちゃ苦しいんですけどね・・・

だって人のせいにしている方が、とりあえずは楽なんですよ。

楽な気がするんですよ。

ほんとは人に自分の力渡しちゃっている状態なんて、楽じゃないのに、笑

 

お空では、冥王星のサウスノード(山羊座22度にあるマーク)に

もうすぐ土星がかかってきます。

 

 

あなたのパワーはどこにありますか?

社会構造に預けてしまいますか?

権力者に預けてしまいますか?

別に反逆者になれっていうのではなく笑

自分のパワーに気付く、、、

それだけで、何かを少しずつ変えていけるはずです。

古い形骸化したものに囚われないで、

進んでいくような流れが起きていくと思います。

 


内と外と

2019年02月02日 | いろいろ

すっかりブログをご無沙汰してしまっておりました〜。

もう旧暦のお正月ですね!

 

年末から色んなことが怒涛のように起き

結果何も変わっていないように見えるのですが(汗)

今は何か蝶になる前の蛹のような気分です。

そう、絶賛引き篭もり中なのです。

 

3ハウスから4ハウスに木星が移動した途端、

仕事と登山以外の理由で外に出掛けなくなってしまいました〜

(ちょっと大袈裟だけど、本当にそんな感じ)

とりあえず、仕事終わったら家に帰りたいのですよ。

そして、内省させられるような事象が頻発しています。

 

木星=信念体系、自然の法則

4ハウス=感情、自分の居場所

ですから、

自分の感情のパターンとその発動の仕組みを

家や自然の中でじっくり向き合わさせられている

そのなかで、このパターンはいる、いらない、を

徹底的に精査させられているような感じです。

 

しかも先日10年ぶりに高熱を出し、

ERT始めてから初めてのまともな風邪を引きました。

でもなんか浄化作用というか、

これが必要なプロセスだったような気がします。

(月蝕が自分の出生時の木星の位置で起きましたので余計に…)

 

そんななか、久し振りにGreen Hope Farmにコンタクトして、

新しいエッセンスを注文しました〜✨

Green Hope Farmの創始者&オーナーのモリーも

大学の先輩なのですが、

彼女の息子さんのパートナーである、サラも大学の後輩で、

彼女が3つほど2018年に作られた新作エッセンスを送ってくれました。

どれも、いまの時代、そしていまの私に必要なエッセンスそのものでした〜💕

・Butterfly Kisses・・・蛹が蝶になるときのように、暗闇で何が起きているか分からないように思える、変容のプロセスをサポートしてくれるエッセンス。クリエイティビティや子宮とつながるのも助けてくれる。

・Sunflower Spiral・・・変化の速いこの時代において、自分らしくあること、自分らしくいられる場所を見付けることをサポートしてくれるエッセンス。愛されていることを思い出させてくれる。

・Be Fearless・・・恐れが何を伝えるために存在していたのかを知った上で、恐れを手放すことを助け、自分の選択の具現化をサポートしてくれるエッセンス。

 

早速効果を感じていますが…また詳細はレポしたいと思います✨

 

なお、セッションは現在のところ、3月一杯までお休みさせて頂く予定です。

その間に進めているプロジェクトからのエッセンスを反映させて、

4月以降、新生eu-balanceとしてスタートする予定ですので、

お楽しみに!


射手座の新月〜人は土から離れては生きられない〜

2018年12月08日 | 占星術
“土に根を下ろし、風とともに生きよう。

種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう”

みなさん、この詩を覚えていますか?

そう、天空の城ラピュタの主人公シータと、ムスカが玉座の間で対面するシーンで、

シータが引用したゴンドアの谷の歌です。

ーーーーーーーーーー

ムスカ:終点が玉座の間とは上出来じゃないか。ここへ来い。

シータ:これが玉座ですって。ここはお墓よ。あなたとわたしの。国が亡びたのに王だけ生きているなんて滑稽だわ。あなたに石は渡さない。あなたはここからでることもできずに、わたしと死ぬの。

今は、ラピュタがなぜ滅びたのかわたしよくわかる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。

土に根を下ろし、風とともに生きよう。種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう。

どんなに恐ろしい武器をもっても、たくさんの可哀そうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。

ーーーーーーーーーー

11月8日に蠍座から射手座に木星が入り、

一昨日射手座から蠍座まで逆行していた水星が順行に戻った直後の、昨日の射手座の新月。

私には、このゴンドアの谷の歌が今回の新月のメッセージのように感じられます。





奇遇なのか、星のままなのか、

天空の城ラピュタが制作された1985-86年は、
土星が蠍座から射手座に移動した期間です。


隠された権力
権力の一極集中
癒着
依存
ただ、慣れ親しんでいるから離れられないもの

そういった、蠍座のネガティブな面が表現されている何かがあなたの世界に存在するならば、

射手座の示す、自然の法則に従って、
今後容赦なく淘汰されていくような流れが来るでしょう。


人は土を離れて生きられない、

このこと自体も真実ですが、
あなたがあなたらしくいられてないなにかにしがみついていたならば、

それらを手放し、より自分らしく生きるための指針について考えてみるとよい時期かなと思います。

かくいう私も、この一年、
色々手広く試したのちに、
自分の肌感覚に合いそうなものだけを残し、
それ以外を手放す、
という作業に入っています。

12月はなにかとお掃除や断捨離をしやすい時期ですので、
感覚的にフィットするものだけを残して
お掃除されるとよい気がします^ ^

年末に掛けてコンサルテーションの企画などしようと思ってますので、またこちらでお知らせします!