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お盆のお墓参りに行ってきました。
この記事は一週間ほど前に掲載しましたが、歌碑のある目の前が千秋庵總本家ですので、近くを通ったついでに趣のある建物を入れて写真を撮り直してきました。北海道には札幌千秋庵など各地に同名のお店がありますが、いずれも函館の千秋庵總本家から暖簾分けされたお店です。特に帯広千秋庵は、札幌千秋庵からさらに暖簾分けしたお店ですが、昭和52年に暖簾を返上して今の六花亭になりました。函館千秋庵總本家からみますと、六花亭は孫のような存在なのですね。

***********ここからは8月8日掲載の記事***********

お墓のある弁天(函館山山麓・ドック方面)へ行く前に、宝来町電停前の高橋掬太郎の歌碑へちょっと立ち寄ってみました。高橋掬太郎のことを知らない函館市民は多く、歌碑の存在もあまり知られていません。写真のように高田屋嘉平の銅像の前にひっそりと建っています。

この高橋掬太郎こそ、朝ドラ「エール」で高梨一太郎として登場し、古関裕而(古山裕一)が作曲して大ヒットした『船頭可愛や』を作詞した人です。「エール」では、第10週「響き合う夢」においてノゾエ征爾さんが高橋掬太郎役で出演していましたね。
※第10週の「響き合う夢」は、8月20日~25日に再放送されます。

高橋掬太郎は明治34年(1901年)に根室市の漁師の家に生まれました。同市の高校を中退後は私塾に通って国文学を学び、大正11年(1922年)に函館日日新聞社に入社しています。10代から作詞を始めていたようで、新聞社に勤めながら作詞活動も同時にしていたようです。
昭和5年(1930年)に「酒は涙か溜息か」を発表し、当時新人の古賀政男(木枯正人)が同詩に曲をつけ、藤山一郎(山藤太郎)が歌って空前の大ヒットになりました。その後、新聞社を退職し本格的に作詞家として活動するべく上京したものの数年はヒットがありませんでした。同時期に低迷して悩んでいたのが、古賀政男の紹介で知り合った古関裕而でした。二人は茨城県潮来市を取材旅行し、この旅行が切っ掛けで二人が作詞作曲した「利根の舟唄」という歌がそこそこヒットします。これが日本コロムビア(コロンブス)との契約解除の危機から古関裕而を救ったと言われています。
そして昭和10年(1935年)にあの名曲『船頭可愛や』をこのコンビが作詞作曲し、日本の歌謡史に残る名曲となったことはご存知の通りです。
IMG_3440youtubeにオペラ歌手の三浦環さんが歌う『船頭可愛や』がありましたので、拝借して掲載させていただきます。「エール」の中では、柴咲コウさんが演ずる双浦環として登場していましたね。この歌は私の生まれるずっと前に流行った曲ですが、母が好んで口ずさんでいましたので、私も小さい頃からよく知っていました。何となく粋でいい曲ですね。

※三浦環さんの動画はyoutubeから削除されましたので、音丸さん(ドラマでは藤丸)の歌に変えました。音丸さんもいいですね。音丸さんはドラマの通り下駄屋の女将さんだったようです。昔、テレビでお婆ちゃん(?)になった音丸さんの「船頭可愛や」を聴いたことがあります。