2019年 後編! | 言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸

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言葉や音に思いをのせて。
心を、毎日を豊かに。

これまでピアノから学んできたことや、日々の気づきなどを綴っています。

2019年、もう一つ大きなことは、
体のことです。


今年の3月から、
ある検査で何回か続けて引っかかっており、
ちょっと何かある?位のレベルなのですが、
1度画像を撮って見てみた方がいいとのこと
でしたので、
8月に生まれて初めてMRI検査を受けました。


そのときのことは
ブログにも書かせていただいているのですが、
本当に、本当に!!

このとき、
どんなに平凡な変わりない毎日だとしても、
体も心も健康であることが
どんなに恵まれていて、幸せなことなのか、
本当に思い知りました!!

健康であることが
どんなに素晴らしいことか。

MRIは、レントゲンと比較して
人体にはなんともないものと
お聞きしていました。

それでも私にとっては、
「もういいです」と言いたくなるほど、
合わないものでした。

なんともなく健康で元気であれば、
このような目に遭わなくていい。

好きなときに、
したいことができて、
行きたいところに行ける。

外に出て、新鮮な空気を吸える。
パソコンやスマホに向かって
知りたいことを調べられる。
本が読める、勉強できる、
好きな音楽が聴ける、ピアノが弾ける。

お風呂に入るのも、
トイレに行くのも、
お食事をするのも。

日常のあらゆる場面の
そのときどきのシーンというのは、
すべて、そのときどきの自らの選択によって
成していることなのだということ。

どれもこれも、
今、自分の意思でもって動かすことのできる
体があるからできることなのだと、
心の底から実感しました。

検査後、病院から外に出たとき、
真夏の猛暑で熱中症になりそうなほどの、
実際、検査中に熱中症で救急車で
搬送されてきた方もおられたほどの
暑さでしたが、

その暑さすら、
生きていると実感できた、
ありがたい自然の恵みに思えました。

検査を受けたことで、
私は体が不快に感じることを最も避けたいと
いう希望があることを改めて実感しました。

いつも快適で心地いい状態でありたい。

貧血だとか、お腹を壊してるとか、
鼻水が出るとか、咳が出るとか、
夜眠れないとか、
体からの何らかのサインは、

何かよくないことがある、
あるいは、もっと自分で自分のことを
大切にしないといけないよ、とか、
何か見てみぬふりをしてませんか、
というサインではないかと、
思うようになりました。

元々が心身ともに健康体であれば
本来は何ともないはずだから。
まずは健康な体があってこそですね。


そして、
健康な体でいられるように
日々をどう過ごすのか、
この健康な体をどう活用するのかも大切と
思いました。

それは、時間の使い方につながり、
時間をどのように使い、
何をするのかという選択が左右すると。

本当にやりたいことをしているのか。
本当にやりたいことにかけている時間は
実際のところ、どのくらいあるのだろうか。

1日8時間って、すごく長いです。
8時間もあったら、
かなりいろいろなことができます。

例えば、朝イチから、神戸から京都に行って、
美術鑑賞して、京風な和のお食事をして、
神聖な空気漂う寺院を参拝して、
四条河原町の商店街でショッピングして、
京都から神戸に帰ってくることができます。
なんて、素敵な充実した1日か。。

1日8時間といえば、
勤務時間に相当しますが、
その間、自分の状態はどうか。
充実してるな、
人様しいては会社の役に立てているなと
思えているか。

締切や時間、仕事を追いかけたり
追いかけられたり、その他諸々で、
不安を感じていたり、
イライラばかりしていないか。
もし、そうだとしたら、
これから先もそのままでいいのかとか。

他には、小さなことですが、
例えば、パソコンを使っているとき、
You Tubeの動画が重いのか、
それとも光通信じゃないからか、
すぐに止まってしまって、ブツ切りになる。

他にも動きが遅くて次のアクションまでに
やたら時間がかかる。
その待ち時間があったら、
こんなことができるのにと考えてしまう。
「時間泥棒」の典型パターン。

など、小さなことから大きなことを
ひっくるめて今の状況を省みて、
「ああ、良い人生だったな」と
人生最後のときに心の底から言えるのか。
「もっとこんなことしておけばよかった」
「ここに行きたかったけど、
行っておけばよかった」とか、
そんなことばかりになっていないかと、
真剣に振り返りました。

健康な心と体と時間は財産である。
時間の使い方を選んでいるのは、
すべておのれである。
これ!という選択ができているのか。

オーバーなようですが、
人生観や死生観が変わるような、
2019年は大きな節目の年だったように
思います。