引き続き、弁財天と龍神の島である江の島を探索します。前回は、江島神社の3つの宮の一つである辺津宮(へつのみや)まで歩きました。今回は、中津宮(なかつのみや)から先を歩きます。

なお、以下は、新型コロナウィルス流行以前のお話中心です。

辺津宮を後にし、江の島を登って行く。展望台から、江の島の東側エリア(湘南港と江の島ヨットハーバー)と海を見下ろすことができる。海の向こうは鎌倉だ。

ここで、道は、サムエル・コッキング苑行きと中津宮行きに分かれるが、中津宮を回って再び合流するので、安心して中津宮へ行きましょう。

江島神社は、島内の3つの宮、北から順に、辺津宮(へつのみや)、中津宮(なかつのみや)、奥津宮(おくつのみや)の総称である。弁財天と同一視される宗像三女神(市寸島比売命、多紀理比売命、多岐都比売命)に奉献されており、日本三大弁天の一つである。

中津宮は、853年に円仁(慈覚大師)によって創建され、1549年に北条氏綱の寄進により修復が加えられ、1689年に再建、1996年に改修された。祭神は、市寸島比賣命(市寸島比売命、市杵嶋姫命、いちきしまひめのみこと)

中津宮は、朱の社殿が美しく、また、辺津宮と比べてあまり混雑していないので、心地よく参拝することができる。

中津宮を後にし、石段をさらに登ると、江の島の一番上に出る。正面に展望灯台である江の島シーキャンドルがある江の島サムエル・コッキング苑、左手に海を望む展望台がある亀ヶ岡広場がある。

江の島サムエル・コッキング苑は、元々は横浜在住のアイルランド人貿易商サムエル・コッキングが取得した土地に1882年に開園した植物園(日本で3番目に古い植物園)で、2003年に藤沢市の公園として開園した。

園内に立つ展望灯台である江の島シーキャンドルは、建物の高さは59.8メートル、海面からの高さ120メートルあり、展望台からは、360度のパノラマを楽しむことができる。

なお、サムエル・コッキング苑およびシーキャンドルは有料であるが、有料エスカレーターのエスカーと岩屋洞窟とセットになったお得な「江の島1dayパスポートeno=pass」があるので、要チェックだ。

道を進むと左手に江の島大師がある。

江の島大師は、鹿児島市にある烏帽子山最福寺の別院で、1993年に創建された。烏帽子山最福寺は、高野山真言宗の僧である池口恵観によって1989年に創建された単立寺院である。池口恵観は、非常に面白い経歴の人物で、高野山真言宗大僧正・伝灯大阿闍梨であり、「永田町の怪僧」というあだ名もあったりする。「江の島大師」とグーグル検索すると続いて「怪しい」がサジェストされたりするのは草。

拝観は自由なので、ぜひ立ち寄りましょう。

本尊は不動明王。高さ6メートルで、室内にある像としては国内最大。「赤不動」と呼ばれている。

江の島大師を後にして、さらに道を進む。石段を下っていき、「山二つ」と呼ばれる地点を通り過ぎる。山二つは、断層線に沿って侵蝕が南北両方向から進んで東山と西山の接点になっている部分である。道は続き、土産物屋や食べ物屋があり、そして、江島神社奥津宮へ至る。

鳥居は、1185年に源頼朝が寄進したと伝えられる。現在の鳥居は、2004年に台風で破損し補修された。

奥津宮は、多紀理比賣命(タキリビメ、タギリヒメとも)を祀っている。

拝殿の先に本殿が見える。本殿は、かつては壮麗を極めていたが、1841年に火災で焼失し、翌年に現在の入母屋造で再建されている。

拝殿の天井には、八方睨みの亀がいる。元々は、1803年に酒井抱一が描いた「正面向亀図」だったが、傷みが激しいため辺津宮奉安殿に収蔵されており、現在の亀は、1994年に片岡華陽が描いた復元画である。

奥津宮の隣には、龍宮(わだつみのみや)大神が祀られている。1993年に篤志により建てられた。岩屋本宮の真上にあたる所だそうだ。龍の力を感じよう。

龍宮に続いては、江の島の奥へ向かう前に、小路を森の中へ入って、龍恋の鐘に寄り道をしよう。

龍連の鐘は、1996年に「江嶋縁起」の伝説「天女と五頭竜」にちなんで藤沢市が観光協会設立を記念して設置したもの。周りにある柵に南京錠を下げる風習も、間もなく始まった。

道を戻って、森を出て、江の島のさらに奥へ進む。石段を下っていくと、海に出る。

江の島の西端は、稚児ヶ淵とよばれる隆起海食台だ。稚児ヶ淵からは、大島、伊豆半島、富士山を一望することができ、夕暮れ時には富士山の方角に陽が沈む光景を見ることができる。空気の澄んだ冬の晴れた日に訪れたい。また、周辺は、回遊魚が釣れる磯釣りのスポットとしても知られる。なお、徒歩では江の島の入口から峠を越えて来る必要があるが、稚児ヶ淵から西に回り込んだ所にある船乗り場と江の島弁天橋が舟で結ばれている。

さて、道は、ついに江の島の最奥の江の島岩屋(岩屋洞窟)に至る。なお、道は行き止まりである(江の島の南側を通って東側に出る道はない)。

江の島岩屋は、島南西部の海食崖基部の断層線に沿って侵蝕が進んだ海蝕洞群である。古来、金窟、龍窟、蓬莱洞、神窟、本宮岩屋、龍穴、神洞などさまざまな名で呼ばれており、宗教的な修行の場、あるいは聖地として崇められてきた。富士山風穴をはじめ、関東各地の洞穴と奥で繋がっているという伝説もある。江の島参詣の最終目的地と位置づけられ、多くの参詣者、観光客を引きつけてきた。現代では、パワースポットという言葉で表現されることもある。

1971年に崩落事故が起き、以来立ち入り禁止措置がとられ、藤沢市によって安全化改修工事が行われ、1993年に第一岩屋と第二岩屋が一般公開された。入洞料有。

また、2017年に台風により損害を受けて閉洞し、2018年4月に復旧したが、現在も工事のため閉洞されることがあるようだ。

第一岩屋に入ると、まず、「神秘の池」と呼ばれる池があり、與謝野晶子歌碑がある。

池の先は、照明が少なくなるが、ロウソクが貸し出される(現在休止中)。洞窟の奥は2手に分岐している。洞窟には、古来より洞内にあったものをはじめ、石仏、石神、石祠などが分類整理されて陳列され、照明が当てられている。第一岩屋の公開区間は約150メートル。

第二岩屋の公開区間は約110メートル。2019年の年末から2020年の年始にかけて、イルミネーションが設置されていた。第二岩屋の奥には、龍神が訪問者を待っている。

岩屋からの帰りは、再び石段を登って、奥津宮を通り過ぎるが、山二つの手前で左に曲がって裏参道と呼ばれる道を通ると、江島神社の朱の鳥居まで下りることができる。もちろん、裏参道を行かず、石段を登って、来た道を引き返すのもよい。

朱の鳥居の近くに、児玉神社がある。児玉神社は、日露戦争で活躍した明治時代の軍人である児玉源太郎を祀っている。1918年に創建された。現在、神楽殿は改修工事中である。なお、児玉源太郎は、1898~1906年に台湾総督を務めていたため、台湾との関係も深い。

江の島に来たら、名物生しらす丼をぜひいただきましょう。弁財天仲見世通りのお店もいいが、江の島を参拝する道中のお店もいい。奥津宮から岩屋への道にある食堂からは、海を見下ろす風景を楽しみながら食事することもできる。

おわり

以上、弁財天と龍神の島である江の島の探索をご覧いただきました。江の島は、首都圏から日帰りの距離にあり、遠足気分でも楽しめます。また、近くには古都鎌倉もありますので、合わせて、観光するのもよいと思います。

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