読書感想文:伊藤哲夫『五箇条の御誓文の真実』 | 倉山塾東北支部ブログ

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伊藤哲夫『五箇条の御誓文の真実』(致知出版社 2020年)読了。

 

著者の『教育勅語の真実』『明治憲法の真実』に続く「真実シリーズ」第3弾。

 

本書では五箇条の御誓文の成立の背景・経緯を学ぶことができる。

 

五箇条の御誓文については、成立の背景などよく分かっていなかったところもあったので、おさらいも兼ねて勉強になった。

 

そして、日本の国是ともいうべきものであるから、憲法を考える際にも今一度これを意識していく必要があると改めて思った。

 

五箇条の御誓文を、

 

「ただの歴史的文書ではないか、とおもう人もおりましょう。」(p15)

 

というように、憲法とは別個のものと考えている人もいるだろうと思う。

 

しかし、イギリス憲法を少しでも勉強していれば、「歴史的文書」も立派に憲法を構成する一つであるということがよく分かる。

 

確かに敗戦後GHQの圧力によって大日本帝国憲法という「憲法典」を捨てさせられたが、歴史的文書まで捨てさせられたわけではない。

 

十七条憲法、御成敗式目、武家諸法度、五箇条の御誓文…

 

これらは日本人自身が考えて文字にして残した日本国の歴史・文化・伝統をしっかりと反映したものである。

 

「つまり、私が言いたいのは、少なくともわが国民は、こうしたものがかつて日本にあったという事実を、まず認識する必要があるということです。」(p15)

 

とも言っているが、これは「かつてあったもの」ではなく、「現在も存在しているもの」なのではないだろうか、とも思う。

 

日本の憲法を考えるときには、外すことのできないものである。

 

 

それと、本書第3章を読んで思ったことも若干書き添えておく。

 

一言で言うと、「徳川慶喜最悪!」

 

倉山先生のご著書でも度々指摘されていることではあるが、結局慶喜は権力の掌握に関心の大部分があり、喫緊の課題への対処を徒に引き延ばし、国内の政局を引っ掻き回しただけなのではないか。

 

慶喜のこうした態度が、大久保・西郷をして幕府の武力討伐を決意させた。ここまでならばまだ分かる。そして、徳川宗家の当主たる慶喜への対応に承服できない幕臣たちの暴走を武力で押さえる、というのも分かる。

 

しかし、慶喜に振り回され続けた会津や桑名はどうなるのか。特に会津はその無責任な言動で逃げ続けた慶喜の「おかげ」で朝敵の汚名を着せられ、幕末の一連の事件での長州の逆恨みを一身に買ってしまった。

 

そして、会津の助命嘆願に動いた他の東北諸藩や、最終的に奥羽越列藩同盟に加わる長岡をはじめとした越後諸藩は、そうした流れに巻き込まれてしまった。

 

慶喜の無責任ともとれる一連の言動が戊辰戦争における東北戦線という形で、降伏恭順を願い出た会津をはじめ東北に本来流す必要のない血を流させた理由の一端、ということができるのではないか。それも、朝敵という汚名付きで…

 

会津戦争後、会津藩は叛乱の首謀者三名を差し出すよう新政府より命じられる。

 

しかし、筆頭家老だった西郷頼母はこの当時行方不明(のち箱館戦争に参戦)であった。よって次席の神保内蔵助と三席・田中土佐、その次の萱野権兵衛の三家老が首謀者ということとなった。しかし神保と田中は既に会津戦争時に自刃。したがって、残った責任者は萱野権兵衛ただ一人。

 

萱野は全てを一身に背負い、死んでいった。

 

萱野が何も言わず一人で全てを背負って切腹していったこと、そしてその無念がいかばかりかということに思いを馳せると、到底慶喜を赦す心情にはなれないのである(これを書いているこの瞬間も、萱野権兵衛のことを考えると感極まって涙が止まらない)。

 

 

さて、話が少し脱線してしまったが、明治以降の日本の国家建設の礎となった人々のためにも、これからの新しい日本を創っていくときに五箇条の御誓文の精神を肝に銘じて国づくりをしなければならない。

 

そのようなことをつらつらと考えさせられた一冊だった。

 

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