読書感想文:C.マラパルテ『クーデターの技術』 | 倉山塾東北支部ブログ

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C.マラパルテ著 手塚和彰/鈴木純訳『クーデターの技術』(中公文庫 2019年)読了。

 

偶然本屋で見かけ、タイトルに惹かれて購入。

 

クーデターに関する本というと、エドワード・ルトワックの『ルトワックの”クーデター入門”』は知っている(持っているがまだ読んでない…)が、それ以外はほとんど見かけない。

 

ということで、本書を読んでみた。

 

本書は、クーデターの経緯とその内実を描き、具体的に挙げた事例について論じているものである。

 

本書で挙げられているのは、ロシア革命(レーニン、トロツキー、スターリン)、ポーランドの独立(ピウスツキ)、ドイツの事例(1920年のカップ一揆)、ムッソリーニ、ヒトラー、そして現代的クーデターの元祖としてナポレオン・ボナパルト、などである。

 

これらの事例から、クーデターの歴史や、それぞれの事例でクーデターの主役たちがとった行動、言い換えればそれぞれのクーデターの”技術”を学ぶことができる。

 

本書を読み終えて、これまでクーデターに対するイメージが少し変わった。

 

これまでは、クーデターとは専ら政権の奪取に用いられるものというイメージが強かった。というよりもそういうものという考えしか持たなかった。

 

しかし、見方を変えると、政権の奪取の方法を知っていれば政権を防御することにも使える、ということになる。

 

少し考えてみれば当たり前のことなのだが、こうした視点には気づいていなかったので、とても勉強になった。

 

そういう視点で見たときに非常に興味深く示唆に富んでいるのは、本書の第1章と第2章で論じられているロシア革命の部分である。

 

政権を奪取するために戦術を緻密に組み立て、クーデターを成功させたトロツキーと、革命で奪取した政権を、トロツキーとの権力闘争の中で政権の防御にクーデターの手法を使ったスターリン。

 

政権奪取の方法として、大衆を動員するのではなく、少数の訓練された人間だけで国家の中枢を狙うというトロツキーの戦術。そして、政権の防御のためにゲー・ペー・ウーの中に特殊部隊を組織し、トロツキー・グループに対する監視、取り締まり活動、妨害工作を行ったスターリンの戦術。

 

読んでいて、両者のギリギリの駆け引きについ引き込まれた。そして、ロシア革命当時の雰囲気なども伝わってく感じがして、とても面白かった。

 

いずれも非常に参考になるものと思うし、クーデターを起こそうという人間や組織から政権を守ろうというときは諜報機関が有効に機能するのだということもよく分かった。

 

こうしたことからも、日本政府にも諜報機関が設置されるのが切に望まれる。

 

…とすると、現在の日本政府はクーデターを未然に防ぐことができるのか?

諸外国に比べると諜報機関の規模が格段に違うので、クーデターを企てている惧れのある個人や組織などを監視、取り締まりする能力に不安があることは否定できないのではないか。

 

とすると、現在の日本はやりようによっては簡単にクーデターを起こせるのではないか?

日本にトロツキーのような人物がいれば、簡単に政権が転覆してしまう惧れがあるのではないのか?

 

逆に、我々が政権を奪取しようと考えた場合、本書で挙げられているようなクーデターの技術を何らかの形で応用することはできないか?

 

日本にも諸外国並みの諜報機関を設置するためにはどうすればいいか。そのために何をしなければならないか。我々にできることは何なのか。

 

少し思いついただけでも様々なことを考えなければならないことがよく分かる。

こうしたことを、しっかりと考えていく必要があるだろう。

 

 

それから、ヒトラーの評価というのもまた興味深いものがあった。

 

「現実に、ヒトラーの内面は、その深層部から、女性の心によって占められている。心ばかりではない。知性や野心、そして意思までも、ヒトラーには男性的な要素が全く認められない。ヒトラーは意思の薄弱な人物である。ヒトラーの残虐さは、彼自身の無力さ、意外なほどの意思の弱さ、病的なエゴイズム、救いようのない高慢さを隠蔽するためのものにすぎない。」(p383)

 

「…人々がヒトラーに拍手喝采を送るのは、彼の中にカティリナの姿を見ているからではない。ヒトラーの中の女性的要素が、人々に拍手喝采を送らせているのだ。ヒトラーの伝記作家の一人はこう語っている。「ヒトラーは絶対に彼の女性関係に関するうわさを流させない」。だが、独裁者について語るならば、こう言うべきだろう―「独裁者の人生の中に、男らしい骨のあるエピソードを見出すことはできない」と。」(p385~386)

 

ヒトラーの、突撃隊に対する対応にもそれが顕著に表れているという(「長いナイフの夜」事件などが例として挙げられるのだろうか)。

 

ヒトラーやナチスについてはもう少し勉強する必要があるが、その際にはこうした指摘もあるということを念頭に置きつつ勉強したいと思う。

 

 

こうしたことを色々と考えさせられた1冊だった。

 

https://www.amazon.co.jp/クーデターの技術-中公文庫-クルツィオ・マラパルテ/dp/4122067510