春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

陽に燃えた2代目常八主信、終焉の鑿。

2018-10-14 21:51:13 | 関口文治郎/神社仏閣

雨が降るといえば、臆病に、
家に籠り窓を開ければ、素足に秋の深さが、
足袋をはき、履けば暑くてまた素足。
なんとも、いでたちに面倒な八王子の天気。

明日の予定にテレビの天気予報を
あちこちチャンネルを横目に、
チンチロリンで、決めようと・・。
2度降り、勝ったほうに明日の行き先を。
1度目が勝ったら秩父宝登山、2度目が勝ったら部屋の片づけ。
チンチロリン、
勝ったのは1回目の賽の目、4.5.6で.宝登山に、
買い出しに小走りした日曜日でした。

こんなんでは怒られる、
安中市板鼻の長傳寺
1861年公武合体のため、
徳川14代将軍・家茂に嫁ぐ、和宮内親王が、
大行列をした中山道、板鼻宿。
上州の7つの宿場で一番賑わったところだという。
宿泊所から5分、和宮が立ち寄ったのは長傳寺。
開山1532年。
1596年現在の場所に移してから、3度の焼失の憂き目に会い、
庫裏は1847年から再建工事を始め、
1856年には彫物師が欄間を彫り始め、
荘厳な庫裏が完成したのは1868年

1861年和宮が訪れた時、
欄間の彫刻の出来に、眼を光らせていたのが、
上州花輪彫刻の花形だった2代目石原常八・主信。
75歳の時。この2年後、
庫裏の完成を観ずに、77歳の生涯を閉じ、
長傳寺の彫刻が最後の作品となる。
彫物大工の多くの乳呑児は、
仕事が終わるころには、ここで元服し、引き上げた、と。

長傳寺、至る所に彼のまろやかな、鑿の跡が刻まれている。



👇中山道

中山道マップ




 

 

  
安政4丁巳年正月吉辰
大間正面極彩色欄間
三牧施主
勅使河原源右衛門好昌
彫工
当国勢多郡花輪在
石原常八主信 七十一歳作
金子文五郎宣信 
  👇

 

 

 

     ☝  欄間総数14面

👇 須弥壇

 

 

 

 

この本堂に入って、彫刻を見ているときが、
いちばん、休まります。
長傳寺の大黒さん。判るような気がしました。

 


👇 幾度の火災に会って、焼失を免れた山門には、焼け焦げの跡が・・。

 

写真2018.10.9 安中市


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