紫陽花記

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別館★俳句「めいちゃところ」

★8 真昼の宇田踏切

2024-04-13 06:59:44 | 風に乗って(風に乗って)17作

 
宇田踏切の警報機が鳴り出したので、ブレーキを踏んだ。上りの矢印が、赤く点滅している。開かずの踏切の異名を持つ程に、一旦鳴り出すと、なかなか通れない。
 向こう側で、咥え煙草の五十がらみの男が、貧乏ゆすりを始めた。

 私は、下り方向を見た。まだ列車の姿はない。いつもなら、すかさず下り矢印も点滅するはずなのだが。
 男に目を移した時、その姿は踏切内に入り線路を歩き出していた。枕木を確かめるように見ながら急いでいる。
 百メートル先の、広地川の鉄橋に向かっていく。列車が線路を震わせてきた。
「あぶないっ」
 私の叫び声など聞こえるはずもなく、鉄橋を渡り出した男が、上り列車に巻き込まれたようだ。列車は私の目の前を、速度を落とさずに走り去った。

「どうしよう、警察に、で、でんわ・・・」
 私は、震える手でドアを開けようとした時、鉄橋の上で人影が動いた。枕木に掴まって鉄橋にぶら下がってでもいたのか、這い上がるように、体を起こした。腹や膝の汚れを手で払った男は、また歩き出した。
 ブレーキを踏みこんでいる足を外した時、再び、警報機が鳴り出した。
 私の乗った車を揺り動かして、上下の列車が通過していく。

「中高年の失業者が増え、再就職の難しい時代となった」と、カーラジオから聞こえてきた。
 やっと、警報機が鳴り止んだ。
 さっきの男が、真新しい煙草を咥えて踏切を渡り、私の車の横を通り過ぎて行った。
 私は、バックミラーの男の背を見送った。




★著書「風に乗って」から、シリーズ「風に乗って」17作をお送りしています。楽しんで頂けたら幸いです。
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★7 泥の中 

2024-04-07 07:01:19 | 風に乗って(風に乗って)17作


 
泥に足を取られてひっくり返った。
 手をついた所からズルズルと、ぬかるみにはまりこんでいく。腕の付け根まで引き込まれた時、隣の奥さんが通りかかった。
「奥さん。お願い。助けて」
「ごめんなさい。わたしこれから出掛けるの」 
 隣の奥さんは、泥でも引っかかったら困るとばかり、遠回りして行ってしまった。

 泥の中には掴まるものは何もなく、踏みとどまる物もない。全身が深みに入っていく。
 顔の造作を全部集めるほど、力を入れて目をつぶった。侵入してくる泥を吸い込まないように、鼻の穴を閉じて、息を殺した。
 苦しい状態の中で、フワリと体が楽になった。体が楽になった時、思い切って目を開けて見ようと思った。
泥の中は、どんなに汚く冷たいものか、見てみたいという気がして目を開けた。
ドロドロのヌメリは、始めは気持ちが悪く目の端から入り込んで、何も見えなくしてしまった。目をしばたくと、ジャリッと音でもするように動く。堪え切れなくて息を吐いたが、苦しさに負けて深く吸い込んだ。
行ってしまった隣の奥さんが憎くなる。

花が咲いている。見たことのあるような形の花。泥の中なのに汚れていない。薄い水色の花びらは八枚で、手のひらほどの大きさだ。風でも吹いているように揺れて、ほのかな香りを出している。私の吸い込んだものの中にも、漂っている。固くなっていた体をほぐしてみた。緩くなった腕を広げ、泥水を体中の血管に送り込んでみたくなった。

見上げると、冬の陽を浴びた隣の奥さんが、肥えた足でスキップを踏んできた。ぶら下げた百貨店の袋の裂け目から、糸でも切れたのか、真珠の粒が転がり落続けていた。




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★6 入国続き

2024-03-31 07:25:53 | 風に乗って(風に乗って)17作


星屑の砂浜に、二十歳前後の男女が打ち上げられた。陽はすでに高くなっている。
 女は眉を寄せて、薄く目を開けた。男は女の気配で気が付いた。
 二人を取り巻いていた大勢の若い男女が、気が付いたのを見ると、「ようこそ、ようこそ」と、声を上げた。
「入国手続きを。あなたの忘れ物を書いてください」と、早速ノッポの若い男がペンと用紙を持ってきた。
「忘れ物ですか」
 二人はおかしなものを書かせるなと、顔を見合わせた。
 女は『もう一人の息子』と書き、男は『父と弟』と書いた。
 取り巻いていた若者たちは、「これでこの国の住人さ」と囃し立てた。ブーゲンビリアの向こうから、一斉に音楽が鳴り出した。誰とはなしに踊りの輪が広がり、果てしなく続いて行った。
 女は女の館に住み、男は男の館に寝起きをした。みんな何の欲も持たず、平和な日々が過ぎて行った。

 西風の強い日が続いた。
 星屑の砂浜に両義手と両義足が打ち上がった。少し離れた所に、赤い運転免許証が打ち上がり、それにはターシャ、ノヤマ、六十歳とあった。そして、それより北に百メートル行った所に、身体障害者手帳が砂にまみれていた。手帳には障害一級。ジミー、ノヤマ、十歳とあった。ノッポの男が、椰子の葉で作った袋に拾い集めると、「これはもう必要ない」と言って持ち帰った。

 貝殻のような、同じ形の爪をした二人は、永遠の若さの代わりに、『もう一人の息子』と、『父と弟』を暫くの間、忘れることにした。




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★5 隧道

2024-03-24 06:33:16 | 風に乗って(風に乗って)17作


 微かに光が差し込んでいる。女はゆっくりと歩いていた。迷い込んだ時の焦りはない。小声で唄さえ歌っている。

「カツカツ」
 気ぜわしい靴音が後ろからした。
痩せた男が、小脇に湿った臭いのカバンを抱えて、追いかけてきた。
「あのう、待ってください。よく歩調を乱さずに歩けますね」
「あなたは、この隧道に迷い込んで間がないのでしょう。目が慣れないだけですよ。わたしも最初はそうでした」
「一緒に歩いて頂けませんか」
「わたしの出口が見えてきました。ほら、この先に光が微かに見えるでしょう。あれがわたしの出口なのです」
「えっ・・・。僕には見えません。ただ、あなたの姿がぼんやり見えるだけです」
「ここでは、出口がみな別々なのよ。あなたの出口は、ご自分で探さなければね」
 男は、闇に手を泳がせた。

「いま、何時ですか」
「ここには時間なんてないですよ」
「ない・・・?」
「ええ。楽しいことも、嬉しいことも、あなたなりにどうぞ」
「僕なりに? 僕はそれどころじゃない。一時も早く明るい陽を当てたい」
 男は、顔を歪めた。
 カビの生えたカバンは男の腕の中で変形し、破れた皮の間から、ビッシリと活字の印刷された書類がはみ出していた。
 女は、佇んでしまった男に言った。
「出口を探すには、まずこの闇に慣れる事ね」
 闇色にじっとりと染まった女は、ゆっくりと歩いて行った。



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★4 村興し、かがいの夜

2024-03-16 06:45:17 | 風に乗って(風に乗って)17作


 若者の村離れと農家の嫁不足解消に役立てようと、数十年ぶりに、村をあげての暗闇祭りが行われることになった。

 孫娘が出かけ、息子夫婦が出かけると、トメは落ち着かなくなった。
『年甲斐もなく』何度も呟いてみたが、どうにも騒ぐ気持ちを抑え切れない。
 タンスに眠る娘時代の着物を取り出すと、胸高に帯を締めた。嫁の化粧品をちょっと借り、後ろに束ねた白髪を解き垂らした。

 五大堂は数本の灯明だけで浮かび、詣でる人々の顔は、闇に慣れた目にもはっきりとは見えない。せかされるように山門に立ったが、気恥ずかしさが後を追ってきた。
『やっぱり帰っぺ』引き返そうとしたトメの腕が、逞しい手に掴まれた。
「今夜、オラと過ごすっぺよ」
 若い声はトメの耳元で囁いた。
 後ずさりするトメを若者が笑った。
「可愛いね。何も怖い事は無がっぺよ」
 じいさんが逝って二十年。ましてや、若者の側にいると思うだけで口が利けない。
「あれれ、随分手が荒れているようだけど、きっと働き者なんだっぺね」
 トメの手を撫でながら若者は言った。その手は背に回り、指はトメの髪を梳いた。
「長い髪だね。美しい髪なんだっぺね。明るい所で見たいな。お堂の方へ行くっぺよ」
 トメは、闇の中で頭を振った。しどろもどろの言い訳をすると、一目散に家に逃げ帰った。

「じいさん、ほんの出来心だっぺよ。許しておくれ。あの頃の祭りを思い出してよ。それにしても、若いということは良いものだなぁ」
 仏壇の前にペタリと座ったトメの、鳴らす鐘の音は高かった。



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