心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

公務員志向、公務員という甘い誘惑:警察官を経験して。

2019年11月08日 | raptブログ

「仕事、くそおもんない」

警察学校の同期と年に一度やり取りしている年賀状の一節です。

同期生は、結婚し、家庭を持ち、警察組織では中堅以上の役職(警部補)や警部になっていますが、未来に将来に人生に希望を持てず、一通の年賀状につぶやいてきます。

RAPT有料記事389(2019年7月15日)これから艱難の時代が来るから、この世の人々はまともに精神状態を保って生きることも難しくなる。その中で私たち義人が、霊肉ともに成功した姿を人々に見せて、主を証していかなければならない。

今から3年前を振り返り、私はRAPTブログと出会い、「信仰を持つこと」によって、自分でも驚くほど性格が変わりました。

「人間の性格は変えられるんだ」とこの3年間を振り返り実感しています。

 

それは「人生の目的」をRAPTブログにて教えて貰えたからでした。

逆に言えば、人間は目的がなければ、今日一日生きる目標すら持てない。

「目標もない人がどうやって今日一日を必死に生きることができるのか?」

「ただ時間が過ぎるのを、ただ目の前の仕事を片付けることを、ノルマをやっつけることが仕事になってしまう」

のではないでしょうか?

目的がないから、「どうせだったら楽して生きたい、ストレスなく生きたい。無理したくない」と考えるのでしょう。

 

私の過去の性格を一言で表せば「怠惰」でした。

「ずーっと好きな娯楽をして、好きな食べ物だけを食べて、好きな時間に寝て起きて生活したい。」

まさにナマケモノ(怠け者)でした。

しかしながら、それは生来そのような性格であったか?というとそうではありませんでした。

「人間なんて、どうせ損得だけでしか生きていないんだ。どれだけ勉強してもどれだけ練習してもダメな人間はだめなんだ」

と中学高校でこの世の不平等の現実を経験した「人生の孤独感、虚しさ」があったからです。

 

そして、思春期の「勉強、スポーツ、恋愛」全て思うようにいかなかた現実がありました。

同じように勉強しているのに成績が良い生徒がいたり、スポーツでも身体能力が元々高い、恋愛でも身長や見た目が元々良いといった「努力しても報われない現実」を目の当たりにしていたからです。

このころは、誰も人生をどういきれば良いのか?について教えてくれる人はいませんでした。

私の周りでは

「受験で良い大学に入って、一流企業と名の付く企業に就職するか、公務員になることが人生の成功だ」

とまで言われていました。

また、恋愛ドラマが流行しており、「恋愛していないのは恥だ」「恋人がいない人は人間として欠陥がある」「結婚していない人は、人間性に問題がある」とまで言われている風潮があったのです。

世の中が「善悪」でなく「優勝劣敗」の関係だけで成り立っていたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(優勝劣敗)

力のあるものが勝ち、力のないものが負けるという状況を指した四字熟語になります。 また、自然の中での生存競争もこの言葉が表すも

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

そういったコンプレックスだらけの思春期を経て、20代になり、社会人になりました。

 

家庭が裕福であったため、大学に進学させてもらい、4年間遊び惚けていました。

「大学に通学していれば、親は何の文句も言わない。好きなように遊ぼう」

しかし、心のどこかでこのままではいけないと思い、就職活動を2年生から始め、オンとオフの別れていそうな仕事がないか探しました。

本来大学4年間で自分の専門分野を究めるべきなのですが、ただ友達と遊び、講義はいい加減に受講してサークル活動や飲み会ばかりをして遊び惚けていたため、「自分が何をしたいか?何をして世の中で輝いて行きたいか?」といった自分磨きをする発想がありませんでした。

まさに、大学は人生のモラトリアムです。

そして、ピーターパンシンドローム、モラトリアム人間でした。

「とりあえず、公務員を目指そう。公務員だったら何でもいいや」

そう思い、大学2年生から公務員受験講座と教員養成課程を履修することにしました。

教員養成課程では教育実習が大学4年生時にありました。

実は、公務員試験は、最終合格は人脈、コネがモノをいう世界です。

どれだけ公務員試験対策をしても、実力は1次試験だけで2次試験、3次試験はコネやバッジ(政治家の人脈)がないと合格できない仕組みになっています。

市職員の採用は当時2名でしたが、2人とも県会議員の親戚や、市職員の家族でした。

警察事務も、代議士(市会議員、県会議員)や警察幹部の親戚ばかりでした。

当然、警察学校に入校して、志望動機など聞いていると、父が警察、祖父が警察官などが多く、2世警察官が多かったです。

実際、コネばかりなのが、公務員であることがわかりました。

 

私の住む地方自治体は、6月 警察官、→7月 教員、8月 県職員→9月 市職員、地方消防官

という順番で公務員試験の一次試験がありました。

単に公務員志望だったため、頭の警察官から順番に受験していきました。

結果は、警察官がすぐに1次試験の合格通知が来ました。

それ以外の試験は全部落ちました。

警察官の2次試験が8月にあり、採用通知がすぐにきました。

大学4年の夏に就職が決まったのです。

「一発で公務員試験にパスできて、人が羨む公務員になれる。人生なんてチョロいもんだ」

といい気になって、「あとは大学を無事に卒業するだけだ」と考え、遊び惚けていました。

実際、大学では単位だけは取得しており、取り残しがありませんでした。

しかも未履修のようなものも、「就職が決まってます」というと、レポート課題で通してくれるようなお粗末なものもあります。

 

別に警察官に興味があったわけではなく、公務員志向であったため、警察学校でもいい加減にやっていました。

ただ、総合格闘技を大学時代にやっていたため、術科は得意でした。

座学は法律ばかりで、丸暗記試験のため嫌で仕方ありませんでした。

法律は一線(現場)に出て、道交法、道路運送車両法、行政法、刑事訴訟法や特別法を勉強し直しました。

警察学校で学んだことは「組織のために、自分を捨てろ」という滅私奉公でした。

 

当然好きでもない仕事ですから、仕事に身が入るわけではなく、いつも「非番と休日、何して遊ぼうかな?」そんなことばかり考えていました。

仕事では、「警察の仕事がやりたくて志望してきたんだろ?」というスタンスで先輩や上司が接してきます。

しかし、本音は「競争のない公務員社会でのんびり暮らしたいから来たんです」でした。

そして「自分は絶対、警察組織に染まりたくない」と思っていました。

 

しかし現実は違っていました。

警察組織に真っ黒に染まってしまった人が上司に来ると、平気で仕事の失敗や責任を部下になすりつけることをするのです。

警察以外の仕事もそうですが、出世をするためには「キズ物」になってはいけません。

仕事ができなくても、人間関係や仕事で大きな失敗をせず、勤務評価でAを持つことで出世をすることができるのです。

つまり、仕事ができるできないでなく、他人の顔色を窺って上手く立ち回れる人の方が、出世街道を登っていくという現実です。

特に、警察官という組織は、「巡査→巡査部長→警部補」までは実力、試験結果で上がっていくことができますが、警部から上の警視以上は順番で任官していくことになります。

 

どういうことか?というと、警視になろうとすると、いかに早く警部試験をパスするか?で決まってしまうのです。

 

逆に警部補までは実力で行けますが、警部は定年退職する2年前くらいにしか一般警察かはなれません。

一度、警部に任官してしまうと、警視までの道のりは順番で決まってしまうからです。

 

「警察改革がしたい!」

という人でなく「警察組織の中で勝ち組に入りたい」

という野心で、昇任していく人ばかりです。

巡査部長、警部補までは、管区警察学校で任用科の研修があります。

しかし、警部からは東京の中野にある警察大学校での幹部研修があります。

 

いかに警察組織に染まった人が、野心家が出世していく組織であるかということがお分かりだと思います。

幹部になれば、人事権、指揮権を持つため、部下を虐め倒し、病院送りにしたり、決済を通さないといった上司もいます。

仕事を私物化する人たちも一定数いるのです。

 

刑法犯検挙月間に、「努力目標に達していない地域署員は非番に張り込みしろ」という命令が下りました。時間外張り込みです。残業の強要ですね。(笑)

先輩たちに「おかしくないですか?」と質問すると

「おかしいも何も、これが警察組織。うちらはこれしかできないから、警察になったんだよ。

仕方ない。今とりあえず我慢すれば、いずれ上司は変わる。言われた通りハイハイ言っていれば、給料が入るんだから。

今の時代、リストラがないから幸せじゃないか?

あんまり先を見て仕事をしていたら、嫌になってしまうぞ」

とアドバイスをいただきました。

「先輩たちも好きでこの仕事をやっているわけではなく、仕方なく生活のためにやっているのが本音なんだな」

と思いました。

 

「リストラなく、公私混同がないのが公務員の世界だと誤認していた」私は、定年退職まで40年近く警察を続けることを考えた時、気が狂いそうになりました。

「給料は必ず振り込まれるが、死ぬまで自由がない生き方はしたくない」

と思い、警察官として4年目、内勤の仕事が板についてきて、独り立ちできるようになってきたころから

「退職」を考えるようになったのです。

 

それが20代後半でした。

しかし、その時はまだ、「人生をどのようにして生きていけばいいのだろうか?」という疑問は払拭できないままでした。

「もう一度、大学で勉強すれば、どうやって人生を生きていけばいいのか?わかるかもしれない」

と考え、2度目の大学進学を考えるようになったのです。

 

(続く)

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