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「ネシュカ、コロナは私たちのいたるところにある」2020-03-31

2022年07月19日 | コロナ・ウィルス

先日、町内会の総会が会館で、あった。

今日は総会だ。と、高橋から、聞かされた代理。

何人くらい来るの?とたずね返した。

代理が総会に出席したのは

(高橋、サラリーマン時代で、無茶苦茶忙しかったので、代理が出席)

もう、20年位前だろうか。

そのころと比べると、新築住宅(団地?)ができて、

人数も増えているだろう。

50人以上くるだろうなあ。

と、いう高橋に、

「窓、全開にせな、いかんよ」

と、忠告した。

「いや・・それが・・そこらへん、どう考えているのか」

代理が考えることといえば、

窓を全開にするなら、当然寒い。

寒くなるので、温かい服装できてください。

とか、

このような状況なので、

できるだけ、短い時間で総会を終わらせたいので

懸案をしっかり読んでおいてください。

とか?

なんらかの「お触れ」があってもよさそうだと思って

尋ねたのだが

「いや・・それが・・そこらへん、どう考えているのか」

と、答えるしかないようだった。

つまり、窓を全開にしようとか、そういう対処も考えている様子がないように見える。

と、いうことだろう。

 

結局、窓を開けようとする人もなく

高橋、思い余って、自分の近くの窓はあけたらしい。

気にしている人、危機感がある人は

あとに続くか?と思った所があるのではないだろうか?

だが、そういう人はいなかったらしい。

 

確かに、そんなに用心しなくていい事かもしれない。

だけど、コロナが、見える物ではない以上

「もしも」自分を含め誰かが保菌していたら?

保菌している誰かとどこで、どう接触したかなんて

判るわけがない。

マーケットにいって、30人くらいしかいなくても、

その30人が、どこでだれと接触しているか判らない。

1人の人間が、濃厚接触する機会はいっぱいあるだろう。

例えば、医者にいって、待合室で待っている。

1人の後ろに鼠算的な人数との接触が隠れている。

一匹いたら30匹居ると思え。は、ゴキブリの話だったが

それにちかいような、人数との接触がある。

と、なると、

「私は大丈夫だ」とは、言い切れない。

症状がでないまま、保菌していることだってありえよう。

 

今、移される?のより、怖いのが、

自分が移す側になることだろう。

もしも、自分がコロナだったら、

過去2週間(もっと?)

近くでしゃべりかけた人。立ち寄ったところ。

そこで、何人もの人に移しているかもしれない。

仕事で、営業などしている人は

とくに、そこらへん、怖いだろう。

取引先の会社にウィルスをプレゼントしてしまう。

自分の会社の人にもうつしているかもしれず

その人々の家族・・自分の家族・・・

自分だけじゃすまなくなる。

 

それが、窓全開で、防げるなら

ちょっと、温かい恰好でいくだけで良い。

 

私は大丈夫。

ここら辺には、ウィルスは、来ていない。

それよりも

「気を付けなきゃいけない。なにせ、相手はみえない」

と、思っておく方が良い。

1996年、ババ・ヴァンガが亡くなる直前のこと。ロベバ氏はババ・ヴァンガから「ネシュカ、コロナは私たちのいたるところにある」と警告されたという。

予言があたっているというすごさより

拡散をふせぐ警告が同時に発せられている。と、いうすごさだろう。

「ネシュカ、コロナは私たちのいたるところにある」

だからこそ、最大限の用心をしなきゃいけない。

ところが、

予言の法則というか。

事細かな事は、語られない。

そのわずかな糸口から

「想定外」を「想定内」にしなければならない。

どこかで、自然・あるいは神?は

こういう「しかけ」出口風にいえば、「仕組み」を作る。

その「仕組み」を、知らされる人はまず居ない。

ほんの少し、まるで、プロメテウスのように

神から「わずかの火」を盗める場合がある。

それが、予言であろう。

だから、その予言の実像がどんなことであるかまでは、

量れない。

 

そして、プロメテウスの火(予言)が現実になった時

人間はその火をどのように扱っていけばよいか

自分たちで考えて使いこなしていくしかなかった。

人間にあたえられているのは、

知恵である。

その知恵で、その火(コロナ)をどう扱うか

考えていくしかない。

 

その扱い方の一つ、3密をさけると、答えをだしてもらっていながら

実際の場面で、使いこなせない。

 

その使いこなせない原因が

「ネシュカ、コロナは私たちのいたるところにある」

と、いわさしめた元。

「いたるところにはない」

と、思いたがる人間への、ババ・ヴァンガ自身からの警告だったろう。

おそらく、それは、

ババ・ヴァンガにおりた?予知から、

ババ・ヴァンガが個人的に(予知ではなく)警鐘したことだろう。

 

人間が陥りやすい「回避行動?」「認めない」とかを

さっさと、警告して貰っていながら

まんまと、罠にはまるなんて(「回避行動?」「認めない」になる)

考えてみたら

まぬけたことじゃなかろうか?

************

預言や神託も同じようである。

『シュメルの洪水神話』(粘土板)における記述
壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。われわれの……により、大洪水が聖地を洗い流すだろう。人類の種をたやすために……。これが神々の集会の決定であり、宣言である。……あらゆる嵐、しかもはなはだ強大なのが、ひとたばになって襲ってきた。同時に、大洪水が聖域を洗い流した。七日と七夜、大洪水が国中を洗い流し、大舟は嵐のために大波の上でもてあそばれた。そののち、太陽神ウトゥ(英語版)があらわれ、天と地を照らした。ジウスドラは大舟の窓をひらいた。英雄ウトゥは光を大舟のなかにさしこませた。王ジウスドラはウトゥの前にひれ伏した

 

『ギルガメシュ叙事詩』における記述[編集]
アシの小屋よ、アシの小屋よ、壁よ。アシの小屋よ聞け、壁よ察せよ。ウバルトゥトゥの子、シュルッパクの人よ。家をこわし、舟をつくれ。持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え。すべての生きものの種を舟に運びこめ。おまえがつくるべき舟は、その寸法をきめられたとおりにせねばならぬ。その幅と長さとをひとしくせねばならぬ。(その(底面の)表面積は1イクー(60m×60m)、その4壁の高さは10ガル(60m)、その覆い板の幅はそれぞれ10ガル(60m)。つまり文字通りの箱舟(立方体)であった。舟は七階建てで、各階には九室あったようだ。)七日目に舟は完成した。 
洪水が起こると、彼は全財産、つまり銀や金、生きもの、家族、身よりの者、職人たちをすべて舟に乗せた。すると、七日と六夜、風と洪水がおしよせ、嵐が国土を吹きまくった。七日目になると、洪水をもたらした嵐は戦いに負けた。それは軍隊の攻撃のような戦いだった。

先述の旧約聖書『創世記』による物語の要約は以下の通りである。 
主は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと「主と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに方舟の建設を命じた。 
方舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。方舟の内と外は木のタールで塗られた。ノアは方舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを方舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、方舟はアララト山の上にとまった。 

 

わたしはおまえにひとこと話そう。わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。

持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え

「主と共に歩んだ正しい人」

 

 

 

 

 

 

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