今回のテーマ「仕事は楽しく、遊びは真剣に」は、これを人生を生きる上でのポリシーとされたというタモリさんの有名な言葉であったと記憶します。
(^^♫

この言葉には、「生きる」という事から生まれる"苦"というものを、"楽"に転換する知恵が、ギュッと凝縮されていると感じますが、

私に取ってこういうシンプルな言葉というのは、その人、人の人生の経験値から「解釈の深みが全然変わって来るものでもある」という事も、同時に感じるものでもあります。
( ・・) ~ ☆彡



「仕事は楽しく」というのは、

多分この言葉をご存知ない方でも、ご自分でその様な"生きる知恵"を自ら編み出され工夫されておられる方は、きっと多いのではないかと私は思うので、比較的誰にでも分かり易い言葉ではないかと思いますが、
(^^✿


「遊びは真剣に」という方には、

実は「この言葉は、自分が思っていた以上に凄い含蓄の有る言葉なのだな~」と感じた経験がある私には「これは人生経験により、理解の仕方には大きな差が出て来る言葉なのかも!」という印象があるのです。
( ・・)  ~ ☆彡☆彡☆彡




 

シビアな話、私達の人生というものは、この世の真理として"苦"というものや"空しさ"を感じてしまうという事は、誰もが避けられないものであるからこそ、


何とか"楽"を感じようとして、どう足掻いても本来私達には避けられないそういう現実から、できるだけ目を背けようとするがあまり、

常に気分良く明るくイケてる自分でいたいと切望し、「楽しく!楽しく!」という事ばかりに目を向けようとする傾向がありますが(※勿論それは、人生を生き抜く為の知恵でもあります)、

もしそれが、必要以上に過剰にそういうものを追い求めるという"現実逃避"というものになっている場合、実はその反作用で、

「自分の見えない所で、余計に自分を苦しく空しくさせて行っている=怒りや落ち込みという感情を自分の中に増幅させている」という悪循環に陥っている事に気付けなくなって、

それで「楽しい事ジプシー」になっておられる方が、この世には沢山おられるのではないでしょうか。
(・_・;)



戦後アメリカの隠れ植民地となった日本に施された洗脳教育で、高い美意識を持った日本人や、本当の品格や知性を持った存在は意図的に隅に追いやられ、

彼らの意図した「何も考えず、何の疑問も持たず(※その方が彼らに取って支配し易く都合が良いからです)、3Sに夢中になる人間」を増やし、それが"イケている"という様に思わされる様な風潮にある現代でも、

いつの時代にも「人間の本質」というものは変わらないのですから、

自分を内観できる様な高い美意識を持っていた昔の日本人より、そういう表面的な楽しさにしか意識が向かわなくなっている様な現代人が味わう"生きる事から生まれる苦しみや空しさ"というものは、

根本的な所で、むしろ増してしまっているのではと感じられますし、人によっては病的になるほど苦しみを感じているという方=それで何かの中毒になっている方というのも増えているのではないかと私は感じるのです。
(・。・;



けれど今の時代は、そういう背景から生まれる「楽しい事ジプシー」というものに、段々空しさを感じる様な段階に来られた方達も、実は案外多いのではないかと私は思います。(※分かっちゃいるけど止められないという方も!? 笑)

そういう「自分を一時的に誤魔化すもの」「本当の自分から目を逸らさせるもの」という、人間が根本に持つ真剣な疑問や悩みには、実は何の答えもくれない"空しい快楽"を求めてしまう自分から、真剣に脱却したいと思っている方達に取ってのヒントというものは、

実は今回のテ―マの「遊びは真剣に」の方に秘められているのではないかと私は思います♪
(^^✿



ではこの「遊び」というものに対しての提議とは?というお話になって参りますが、それは個々の人生含めた「人間の人生に対する視野の広さ」というものにより、それぞれ異なるものではないかと私は思いますが、

実は私にも、何に対しても安易に、ただ「(※今思えば頭で) 楽しもう!」という意識を持ち込んでいた時期があります。

でも後になって、それが如何にチャラチャラした軽率な理解であったか、つまり本当の意味で"人生を楽しむ"という事が、本当はどういう事であるかというのを、改めて自分の中で見直すという機会が与えられた経験があり、

その時に、改めてこの「遊びは真剣に」という言葉の深い意味に対して、気付かされたという事があったので、今は以前よりこの言葉に対する理解が深まった分、自分なりに"真剣に遊べている"のではないかと自分では感じています♪(笑)
(^^ゞ



ちなみに私が気付かされた事とは、

「人間は真剣になるからこそ、人生で本物の楽しさを味わえる」という事であり、逆から言えば「真剣さや直向きさのないものからは、私達は人生で本物の楽しさは味わえない」という真理です。

つまりチャラチャラとした中途半端で表面的な安易な楽しさからは、私達が心の底で求めて止まない、本当の意味での"生きる喜び"という「人生の醍醐味」を味わう事は不可能だという事なのです。

何故なら私達人間の根源には、生まれ持って無意識に「成長し続けたい」という本質を持っているからです
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡



私が思うに、こういう真理を知っている方と、そうでない方は、かなり人生に対する姿勢というか、同じ「楽しく生きる」という事に対しても、捉え方が変わる=生き方が変わって来るのだと思います。

つまり私達が味わう「楽しさ」というものは、その裏に在る「真剣さ」というものの度合いに比例するという法則に気付くという事なのですが…。
(^^✿



そういう"人生の理"を理解できる様になって来ると、私達が人生で欲して止まない「本物の楽しさ=喜び」というものを得る為には、「本気で求める」という真摯さや真剣さというものが不可欠であるという事に気付き出します。

そしてそこから生まれる肉体を通した"自分発信の能動的な行為"というものが、"生きる喜び=充実感というもの含めた最高の楽しさ"を感じる為には、これ又絶対不可欠なものであるという事にも気付かされるのではないかと思います。

こういう真理に目覚め、それを実践する事から俯瞰で理解できた時、私達は初めて「遊びに真剣になるという事から得られる"人生最大の面白味"」というものを味わう事ができる様になるのではないかと、私は自分の経験上思います。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡



ちなみに、この"真剣"という言葉を、「仕事」の方ではなく「遊び」というものに持って来たという所に、私は究極の真理が隠されている様に感じられて、

「この言葉を考えられた人、深くて凄い!」と思ってしまうのでございます!(※だって"遊び"とは、精神的な余裕やゆとりが有ってこそ生まれるものですからねぇ!)
\(◎o◎)/~☆彡☆彡☆彡

私が思うに、この「真剣な遊び」というものに「自分は何を当てはめるのか?」という事が、各々の人生をより良いものにして行く上で、非常に大きなポイントにもなって来るのではないかと私は思います♪

そうすれば、改めて自分の人生に於ける「楽しみ方」や「在り方」というものが、自分の中で大きく変わって来るかもしれないですからね~♫
(^^✿



そうして自分の中に変化が起きれば、今まで自分が見えていた世界や価値観がぐるんとひっくり返る事もありますし、そういう自分の変化は、必然的に自分の外側の世界にも影響を与えて行くものなので、

やはり「遊びは真剣」であればあるほど、そこから味わう楽しさや充実感というものも、それに比例して増して行くものではないかと思います♪

ちなみに私自身は、楽しさも苦しさも含めて、ゲームオーバーになるまで「自分の人生を、真剣に遊ぼ~♫」と思っています♫(笑)
(*^^*) ~ ♡

 

 

 

 

 

 

今日は何して遊ぶ~?(笑)
(*^^*) ~ ♫



 

 

芸術であれ、スポーツであれ、何であれ、私達が感動するものや人物には、必ず真剣さや真摯さ、そして直向きさというものがあるはずです。

 

安易で深みの感じられない「楽しい」ものには、一時的には夢中になっても、人はそんなに心を揺さぶられるほど動かされる事はないですし、そんなに深く記憶に残るという事もないという事を、自分自身にも当てはめてみれば、

究極自分自身を一番感動させるものは、他人ではなく「自分自身の思いから発信される、真剣にベストを尽くした自らの行為」なのではないでしょうか?

私達はお互い「自分とは違う個性や才能を持っている他者が創造するものを、楽しませて頂く」と同様に、

どの様なものでも、どんな小さな事であっても、「自分自身が想像&創造する事を楽しむ」事から、「自らを発見して行く」というのが、実は究極の遊びであり、

それが私達に与えられた最大の楽しさ=喜びなのではないかと私は思っています♡
(^^♡

 

 

 

 

 

 

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