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今日4月1日は、松田聖子さんがデビューした日ですね。
私のそばにはいつも聖子さんの歌がありました。
1980年から40年、ずっと歌い続けてくれてありがとうございます。
今年のデビュー記念日は、
そんな聖子さんの上京からデビューまでの歩みを
見てみたいと思います。
●昭和54年7月3日
17年間住み慣れた久留米を発つ日が来ました。
朝から小雨模様の中、ちょうど東京に出張があったお父さんと見送りのお母さんと福岡空港に向かいました。
お母さんは一言「身体にくれぐれも気を付けるんだよ。」とポツリともらしたきり、あとは言葉になりません。
東京の上空は快晴―
まるで法子ちゃんの前途を祝福するかのようです!!
羽田空港に降り立った法子ちゃん。
持ち物は一週間分の洋服とお小遣い、そしてお守りだけ。
●昭和54年8月
歌の猛レッスンの日々―
そして、NTV系「おだいじに」で太川陽介さんの恋人役としてレギュラー出演が決まりました。
その前に「松田聖子」という芸名が決定していて、ドラマの中でもその名前で出る事になりました。
●昭和54年9月
堀越学園に転校。
制服姿で月曜・火曜はNTVでリハーサル、水曜・木曜は生田スタジオで本番の日々。
●昭和54年11月
資生堂「エクボ」のCMガールオーディションにチャレンジ。
残念ながら”エクボ”がないという理由でCMガールにはなれませんでしたが、その歌唱力が評価されCMソングを歌う事に決まりました。
●昭和54年12月4日
ニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のオーディションに合格。
●昭和55年1月10日
ニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のパンチガールでレギュラー出演。
●昭和55年1月25日
念願のNHK「レッツゴーヤング」のサンデーズのオーディション。
本当は、この日まで「おだいじに」の札幌ロケがある予定でしたが、急遽前日の夜で撮影終了。
朝一番の飛行機で羽田へ直行し、車で審査会場を目指しました。
”奇跡”とでも言えるような間一髪飛込セーフで、結果も満票トップで”合格”しました。
●昭和55年2月下旬
3月末から、資生堂「エクボ」のCMが流れる事が決定。
急遽レコーディングが決まり、ジャケット写真もスタジオの隅でたったの10分での撮影でした。
デビュー曲は作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎で、最初のタイトルは「ハイヌーンは熱く」でした。
【妄想版】
初めてのレコーディングで聖子ちゃんは泣きました。
「ああ、これが私の…私の為の曲なんだ。」と思った瞬間、涙が後から後から溢れてきて仕方がなかったそうです。
●昭和55年3月3日
堀越学園卒業式。
●昭和55年3月
ニッポン放送「ロッテ歌えヤンヤン」で初めて人前で歌いました。
タイトルは「ハイヌーンは熱く」でしたが、その日のうちに「裸足の季節」に変更されました。
この時は、大人っぽいドレスと高いヒールの靴というファッションで、「全然、私のイメージと違う!」とスタッフにクレーム!
そのせいか、歌い始めると「歌詞は間違えるわ、入り方は間違えるわ、もう大変!!」という惨状…
「失敗したのは衣装のせい!」と、フリルの付いたフランス人形のようなドレスを着たいとスタッフに要求し、髪型も自分で決めるようになりました。
●昭和55年3月23日
NHK「レッツゴーヤング」初登場!
LULLABY 80'sさん、ありがとうございます。
●昭和55年4月1日
デビュー曲「裸足の季節」発売。
早朝に起き、「ズームイン!!朝!」出演の為に日本テレビ本社内オープンスタジオ「マイスタジオ」へ向かう聖子ちゃん。
LULLABY 80'sさん、ありがとうございます。
松田聖子伝説の幕開けである…
聖子さん、
デビュー40周年
おめでとうございます!
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