戀ノ言ノ葉 百六十 子を思う・大伴宿奈麿
順調だってさぁ(^。^)y-.。o○
早く見つかって良かったよね(*'▽')
だけど本当に
何の症状も無かったんよ
痛いとか怠いとか(^。^)y-.。o○
でもそれってどうなんだろ?
危険信号が出るから
何らかの症状が出るわけじゃない
何にも無いって自己修復可能って事?(・・?
癌細胞は誰でも持ってるみたいだから
そうとも言えるだろうし
見つかった時には手遅れって人も居るから
そうとも言えないわけだよね(^。^)y-.。o○
でもパパの体力って
同年代の人より若いんだって
お医者さんも言ってたよ(*'▽')
よく言われるよ(^。^;)y-.。o○
。。。あぁそれと
わざわざ毎日来なくていいから
それだけは絶対やめないよ(・。・
パパとバアちゃんの話し聞いてるから
近いんだから来るからね
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
(言い出したら聞かないのは誰に似たやら)
うち日さす宮に行く児をまがなしみ 留むれば苦し やればすべなし
(大伴宿奈麿おおとものすくなまろ・万葉集・巻4・532)
陽が射し照らす都に行く娘が愛おしく
引き留めれば心苦しいし
都に遣るのも切ない
※大伴宿奈麿は大伴旅人の弟で坂上郎女の夫。この歌は自分の子ではなく、采女として上京する娘を詠ったものです。毎朝出勤途中に、わざわざ病院を廻って来る娘を見ていてふと思い出した歌でした(^。^)y-.。o○
一週間ぶりです('ω')ノ
連休だし外泊許可が出たので帰宅しました
病院はコロナの影響で家族でも一切面会禁止状態
そんな状況の中
次女は毎朝出勤途中に自転車で来るわけですよ(;^_^A アセアセ・・・
ボクは朝の散歩がてら外で会って見送るわけです
ボクと母の別れも次女と丁度同じくらいの年の頃
時季も今頃(10日前が命日でした)
当時は職業的に地元から通勤できる環境に無かったから
週末の度に帰省していたんだけどね
見舞いに行ってボクが帰る時
病院の入り口まで見送ってくれた母は
その夜に病状が急変し逝去しちゃったって話しをよくしていたから
母は未だ40代だったけど
ボクは母よりも10年以上長く生きてる事になります
こうして入院生活をして娘を見送ると
その当時の母の思いが何となく分かるような気がします
幸いな事にボクは来週にも退院できそうなので
病室内PCを持ち込めないので皆さんの所には
なかなかお邪魔できませんが
順次行けたらと思っています
いつも見てくれている皆様
本当にありがとうございます_(._.)_
常磐屋鷹音
今日も読んでいただきましてありがとうございました(^人^)