今度、総理になった菅義偉氏が秘書をやっていたのが、元通産大臣だった小此木彦三郎だが、彼が大臣になる前に、「小此木内閣成立」というイベントが神奈川県民ホールであった。
1980年代のことだと思うが、要は小此木議員の総決起大会だったが、結構面白く、羽田攻が省エネルックの背広で出てきて大いに笑えた。
この時、一番面白かったのは、作曲家・黛敏郎の話だった。
黛敏郎は、戦時中は神中(神奈川第一中学、現希望ヶ丘高校)にいて、彼の上級生に小此木君がいた。
ある日、黛は、応援団長の小此木に教室の裏に呼び出される。
「お前は、ピアノでフランス音楽など弾いていて非常に軟弱だ!」
と鉄拳制裁を受けたのだそうだ。
敵国のフランスではなく同盟国のドイツ音楽ならよかったのかもしれないが。
この頃、菅首相は、すでに小此木事務所にいたはずだが、この時はなにをしていたのだろうか。
私は栗中でしたから神奈中のこともよく存じています。日乗さまの記事には懐かしいことしきりです。