指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『この星は、私の星ではない』

2019年12月15日 | 映画
田中美津と言って、知っている人はどのくらいいるのだろうか。
1960年代末のウーマンリブの活動家だが、すでに70代の女性になっている。
今回、このドキュメンタリーを見て、初めて知ったのは、彼女は「インテリ」ではなく、本郷の魚屋の娘だったことだ。
普通の店で、母親は面倒見の良いお母さんだったようだ。
だが、美津が5歳の時、店の使用人に彼女は性的ないたずらをされる。
母親に言うと、母は激怒し、美津は、その行為が楽しかったこととの分裂に悩むようになる。
この時、彼女は「この星は、自分の星ではない」と思うようになり、まさに自立を目指すようになる。

この店の使用人にいたずらされるというのは、女優の山口果林の本にも書かれていたことで、下町の店ではよくあったことなのだろう。
映画『異母兄弟』の女中に主人が手を付けるのと反対に、使用人がそこの娘に手を付けることもあったのだろうと思う。



田中美津は、ウーマンリブ運動の中で国内から逃れ、メキシコに行き、そこで恋愛し子供を作り日本に戻ってくる。
鍼灸師の資格をとり、それで生活をささえ、息子を育てる。
そして、当然のように、沖縄の基地反対運動の支援に行く。
それは、東宝争議のとき、組合にも共産党にも全く無縁だったが、江戸っ子の弱い者の味方の発想で、組合側を支持した監督五所平之助とおなじだろうと思う。
警官隊、国の沖縄の人々をいじめる者への反感が、彼女の意思の基であるのだ。

会場の横浜シネマリンに行くと支配人の八幡温子さんがいて「5周年なので、お茶をサービスします」とのこと。
ここは元は、松竹系の洋画上映館で、八幡さんの言では、
「同じ伊勢佐木町のニューテアトルとは共に松竹系だったが、どちらも自分の方が少し上だ」と思っていたとのこと。
どちらかと言えば、ニューテアトルは松竹の邦画系で、『釣りバカ日誌』のラスト作もここで見た。
黒澤の『まあだだよ』も、そこで「唖然」としたものであることを思いだした。

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