調子の良い時は世界は明るく感じられ、

感謝の気持ちも自然と湧いてきたりします。

 

今の心の状態が、ものごとに対する自分の認識をつくっています。

 

そして心というのは、一定不変のものではなく、前向きになったり後ろ向きになったりするものでもあります。

 

弘法大師空海も人の心の流動性に注目して、心とは固定したものではないこと、それをしっかり理解した上での修養(行)をすすめています。

自分の固く信じていることすらも、一瞬の気分しだいであるとも述べています。

 

そうであれば、私たちはできるだけ自分の心を明るく前向きに努めていくことが大切であるのはもちろん、

また、

心が一定でないと知るのであれば、たとえ今調子があまり良くなく、心が晴れやかとは言えない状態であったとしても、

この状態もまた一時的なものだと少し冷静にとらえることもできます。

 

 

悲観的になると心に覆った雲が、今後も厚く覆ったままのような気にもなりますが、

 

空の雲は一時的に太陽を覆っているにすぎず、雲の奥では常に太陽が輝いているように、

心に覆われた雲も一時的なもので明るさや希望を感じる心は永久に消えてしまったわけではありません。

 

私たちはうれしくなったり悲しくなったり、落ちこみ悲観したり、色々な心の状態を経験するので、普通に考えて心は変化するというのはごく当然のことのように思えますが、

特に、悲観的になっているようなときは視野が狭まりこの当然のことを忘れがちで、ずっとこの状態この気持ちが続くような気さえしてきます。

しかし心は変わるものです。

 

 

ラテン語でSursum corda(スルスムコルダ) “汝ら、心を上げよ”

 という言葉があるそうです。

 

心を上げるには、

視線を上に向けたり、天上をできるだけ意識していくといった、ちょっとした意識が役立ちます。

 

落ち込んだり気分が沈んでいるときは視線が下に向きやすいですが、下を向いていると地縛的な波動にはまりこみやすくなります。

姿勢や視線、意識を高く向けることは、それを防ぎ、心を浮上させるための、ちょっとした簡単な一歩になります。

 

また、心の調子が良い時は感謝も湧いてきやすいですが、

自然と感謝が湧いてこなくても、意識的に感謝をしてみることで心も上がってきやすくなります。

 

例えば、食事をしながら、それぞれの食品は今自分がいただくまでにはどれだけの恵みと労力を経ているのか、想像してみることができます。

店員さん、運送業者さん、生産者さん、あるいは畑の微生物や太陽…。食卓に上るまでにどれだけの存在のおかげがあるのか想像してみることで感謝も湧いてきやすくなります。

これは食べ物に限らず、目の前の鉛筆一本でも同じです。

 

今あるおかげを想像してみること、これも私たちの心を浮上させる助けになります。

 

 

♡♡いつもありがとうございます♡♡