外出自粛、在宅勤務の生活スタイルにより時間的にゆとりがあります。
ぽっかり時間が空くし、通勤電車に乗らずあんまり疲れないせいか
眠りも浅く、よく母のことを思ったり、母の闘病のあれこれを考えたりしてしまいます。

治療や介護について、ああすればよかった、こうすればよかったと、
今となってはどうしようもないことを思ったり、
腹の立つ医者などを思い出して、随分前のことなのに、
怒りをおぼえたりしてしまいます。 (怒りって消えないものですね、、、)

ただ、そんな風に母のことをたくさん思っても、
もっと生きててほしかった、生き返ってほしい、と
胸をえぐるような切ない気持ちを持つことはありません。

それは、母が脳腫瘍、膠芽腫という病により、
どんどん、できることがなくなっていった
辛い辛い時間をみていたからだと思うのです。
これだけは、母の病が恐ろしい病、膠芽腫で
あってよかったと思える点かもしれません。
 
たとえば交通事故で突然母を失っていたとしたら、
どうして事故なんかに、と毎日のように泣き崩れ、
これは夢なんじゃないか、
目が覚めたら母は生き返っているのではないか、
と気が狂うほどになっていたかもしれません。

もちろん、脳腫瘍なんかにならず今も元気でいてくれれば
それにこしたことはありませんが、
あれだけの闘病生活を送った後、脳腫瘍なしのパターンは考えらません。
そうなると、あの状態でもっと生きていてほしかった、
とは思えないのです。

母の場合、闘病後期は頭が働いている(死の間際まで
私のこともわかっていて返事をしていた)
のに身体が思うように動かせない、食べられない状態になり、
その辛さというのは筆舌に尽くし難いものです。
今でも、母が理知が光る瞳で私をじっと、
悲しそうにみていたことを思い出します。
 
ですから、
母に会いたいなあ、母と手をつなぎたいなあ、という気持ちは
いつもいつも心にあるものの、
狂おしく会いたい思うのではなく、
辛かったね、ゆっくり休んでね、と思えるのです。
 
あちらの世界では、元の元気な体になって楽しく過ごしているでしょうか。