パソコン上達日記2

日々の雑感を戯れに綴ります

市原悦子さんの訃報に寄せて

2019-01-13 21:14:50 | つぶやき

先ほどニュースで市原悦子さん訃報のニュースが流れて大変驚いた。街頭インタビューに応じている男性が「日本の母親のような方」と答えていたのが印象的だった。ドラマでは様々な役を演じられて楽しませてくれた。あのほんわかとした上品な声と、キリリとした面差し・・・。とても寂しい。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

市原さんといえば、日本昔話を誰しも思い出すのでは?私もたまたま過去にblogで日本昔話「あとかくしの雪」について書いていたので、読みやすくし一部再録してみます。

このような素晴らしい作品に「声」という命を吹き込まれた市原さん。取り上げたあとかくしの雪は、全体的に台詞が少なく静かな物語だが、それがかえって演技を際立たせているように思う。間合いやイントネーション、全てにおいてプロの仕事を感じさせる

 


                                                       

「あとかくしの雪」は、子供の時とても印象に残った作品。大人になって見てみると感慨深い。15分の中に、これだけの世界を描く・・・哲学的・仏教的な世界観もある。伝承として伝わる昔話は、子どもに媚びないものだと思う。「あとかくしの雪」も、子供には理解できないような不条理に満ちた世界・・・だからこそアニメーションの優しさ、名優2人の語りの柔らかさ・その静けさが ただただ美しい。

<あらすじ>

① 山が噴火をして 火山灰が降る。昔は豊かだった村だが、噴火のせいで貧しい村になる。作物が実らない。

② その村に腹を空かした旅人がやってくる。何日も食べていないので、庄屋の家の前で食べ物を求める。(庄屋の家の前の畑にだけ大根がたくさん植わっていた。)

③ 庄屋は、旅人の申し出を断る。もしも、大根を畑から盗んでも、足跡(火山灰が積もっている)が残るので誰が盗ったかすぐ分かると言う。

「村人でも見つけたら 代官所に連れて行くだけ」と。

④ 村人は、あきらめて、またしばらく歩くが、空腹から倒れてしまう。おばあさんが旅人を見つけて、家で介抱する。自分の食べる食事を旅人にあげるのだが、このお汁いっぱいにも満たない食事以外、食料が全くない。(おばあさんにとって、本当に最後の食事だった・・・それを旅人にあげてしまう)

⑤ けれど旅人の空腹はおさまらない・・。するとおばあさんは、どこからか 大根を持ってきて旅人に食べさせる。そしておばあさんは、夜明け前、早く山を越すようにと旅人に出発を促して、旅立たせる。

 

旅人は感謝するが、ふと地面を見てその足跡に気付き驚愕する。おばあさんの家の足跡が、庄屋のだいこん畑とつながっていたからだ。旅人は、おばあさんの行く末を思い、「足が震えて」「夢中で道を急ぐ」 旅人に食べさせるためおばあさんは庄屋の畑から、大根を盗んでいた。

庄屋も夜明け前に、火山灰が降り積もった上にある畑の足跡に気付くが、太陽が出てからこの足跡を追えばいいと思い、一端家に戻る。

 ところが・・その後、雪が降る。「誰が降らした雪なのでしょう」

 灰の上に降り積もった雪がおばあさんがつけた畑の足跡を 消してしまっていた・・・。

不思議なことに、夜は星空だったのに、いつもより、ひと月も早く雪が降った・・・「もう足跡がみえません」というナレーションで物語は終わる。


「自己犠牲」という心を見せた物語だが、この話はひときわ悲しい。

おばあさんが何故旅人を助けたのか? それはもう自分が「死ぬと分かっていた」という背景がある。食料がないのだ。そして空腹で倒れた旅人に「自分のごはんを全部ごちそうしてしまった」おばあさんは、「この憐れな旅人に何か食べさせたい」と考え、庄屋の畑から大根を盗むという罪を犯す。

人を生かすために自分が罪を犯す。・・・それは遡れば・・・人間には決して抗えない運命・・・自然の天変地異・「山の噴火」からきている。(もし山の噴火がなかったら、「豊かな村」のままでいられたはずだ。)そして その罪を消し去ったのは、「雪」なのだ。皮肉にも「雪」という自然によって人の罪は消え去った。

けれど おばあさんの目の前にある横たわったままの「やがてくる死」は、この物語は触れない。また昔話に登場する「神様」「仏様」「天の声」のような、絶対的に助けてくれる存在も全く描かれない。

 「罪人」としてではなく、「人」としてその終わりを迎えるおばあさん・・・。おそらく優しく働き者であっただろう人なのに、どうして助ける結末ではないのか?そしてあの旅人はどうなったのか?普通描かれるだろう子供向けの部分はいっさいない。何もそれは語られない、そしてこの残酷な世界をこの言葉だけで終わらせる。

「もう足跡がみえません」

市原悦子さんの柔らかく優しく慈愛に満ちた声がとても悲しく、それでいてどこかに希望を感じさせるようだった。

人として生きる不条理がそこに在る。そしてそれでも人は生き、死んでいく。仏教的な世界観や哲学も感じさせる至高の作品といっていいかと思う。

 


 


Comment    この記事についてブログを書く
« コード番号K872-3 4730点の手術 | TOP | 鬱的なお休み »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。