以前生品神社にお参りしたとき反町館跡の存在を知り、その帰り一度立ち寄ったのですが、何か見たりない感じがしていたのでもう一度行ってみました。
この大きな楠は、650年の歴史を見めてきたものです。 傍に素晴らしい藤棚がありその外が堀になっています 。 藤の咲いたときもう一度来てみます。
この堀は当時のまま残されたものといいます。藤棚と楠が覆いかぶさっています。
反町館跡案内版
以前生品神社にお参りしたとき反町館跡の存在を知り、その帰り一度立ち寄ったのですが、何か見たりない感じがしていたのでもう一度行ってみました。
この大きな楠は、650年の歴史を見めてきたものです。 傍に素晴らしい藤棚がありその外が堀になっています 。 藤の咲いたときもう一度来てみます。
この堀は当時のまま残されたものといいます。藤棚と楠が覆いかぶさっています。
反町館跡案内版
何日ぶりでしょう。寒い時期で自分の仕事部屋に暖房を入れて温めてから仕事…というのが面倒で、ついついブログも放りっぱなしでした。体調が落ちてきて気力が伴わないのも
あります。前回書いた続きを追ってみようかと思います。
世良田東照宮での驚きを前回書きましたが、とにかく驚きと、思いがけない収穫だったと思います。
太田の歴史を支える大事・・・新田と徳川 新田については新田義貞がクローズアップされるだけで、新田荘・金山城とのつながりなどがあまり知られていない。まして徳川が
新田の系列から生まれ、そのことを歴史にとどめようとして徳川という地名までできているのだと知らない方も多いと思います。昨年、初めて大光院を訪ねたとき、徳川家康の名が
出てきたのに驚いたけれど、その理由もようやく理解てきた、また世良田東照宮が三代将軍家光によって建てられたのだとわかり徳川とこの太田市の結びつきの深さを改めて
理解したのでした。こんなことを念頭にもう一度見て回りたいと思っています。
群馬に来て二度目の冬を送っている。
いろいろ見て歩いたことをブログに書いてきました。いま振り返ってみると、単に行ってきたというくらいで、中身がない無ことに気が付きます。
もちろん見学場所について勉強して行ったのではなく、また深く知りたいと思って出かけたのでもない。だから見たというだけで、内実が伴っていないのです。
それでいいところもありますが、もう少し深く見たといえる知識に高めたいところもあります。その第一が世良田を中心とした新田、徳川の歩みをもう少し突っ込んで
理解したい。世良田東照宮と新田荘歴史資料館が同じ敷地の中にあるのを知って驚いたのですが、そのあたりから理解を深めてみたい。
新田と徳川の結びつきがもう少しきちんと知りたいと思っています。
先日も一度行って、ブログにも書いたのですが、昨日手と天気も良く風もない散歩日和だったのでもう一度運動公園散歩に出掛けました。先日見損なったところを
見ながらゆっくり楽しませてもらいました。
昨年オープンしたオープンハウスアリーナーの外観をみてきました。5000人の観衆を収容できる
屋内体育館。群馬のプロバスケット部の本拠地にらなっています。
オープンハウスアリーナーの正面が陸上競技場です。
陸上競技場の外の道路側に植えられている花木、私は寒椿とばかり思っていましたが、サザンカでした。歌謡曲に「サザンカの宿」というのがありましたが、
どんな花なのかも知らないで歌っていました。
特注で耳の型を取り作った補聴器が期待に背いて機能してくれず、逆に本来の耳が機能を失いつつあるような感じになっている。
補聴器の使用をやめようかと外してみても、本来の聴力よりさせに落ちてといるようで、つらくても使用しなくちゃゅならないのか、と落ち込みながら
辛抱しています。着用した時の期待感が強すぎて、何度も調整をしてもらったが、それが悪かったのでしょうか。
近いところの声は何とか聞き取れるのですが、少し離れると感度はあるものの言葉にならないのです。会議などの折のマイクの声も声にならない。
テレビの声は音量調整が出来るので、それに合わせると問題なく聞きとれます。でもボリュウムを下げると、聞き取れなくなります。
聞くということが難しいだけでなく、自分の声もおかしくなっているようなのです。聴力が落ちると、思考力まで落ちるみたいで、人と話すことが苦しくなってきています。
余生を生きているのですから、そんなに欲張らなくてもいのかもしれませんが、体力はまだ年齢ほどにに落ちていませんので、もう少し世間並みの生活がしたいものだと
思ってしまうのです。
昨日金山城跡の見学に行ったついでに、子供の国へ散歩に向かったことを書きました。その時 1月6日12ばころの写真です。子の写真の右奥のほうに遊具があり沢山の
子供たちが遊びに来ていました。 この公園の脇は散歩道路になっていて適当な勾配もあり、幾通りかのコースが選択できいろいろな方が散歩楽しんでいました。
天気が良く気温も13度くらいになっていたと思います。一月の6日なのです。北海道を離れて、こんな土地での老後となっているのです。