写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

2024年春の車旅・7日目(弘前城の桜)

2024年04月23日 | 車旅紀行

車旅の出発前に、妻から弘前城の桜が見たいとリクエストが有った。

日程的に喜寿祝や友人との女子会の後になるが、弘前城の桜の時期は5月の連休頃なのでピッタシと思っていた。

ところが今年の開花は何時もより早く、1週間ほど前には満開になり数日前から散り始まったと報道されていた。

妻の体調問題からも無理は出来ないが、回復するとやはり見たいと言う!

昨日、妻の高校時代の友人との楽しい女子会を終えたのが午後3時頃だった。

日も高いので少し北上しようと東北道の紫波SAまで走った。

今朝はゆっくりと起き、弘前城を目指して走った。

お昼前に到着し、お城からは少し遠いが市の無料臨時駐車場に止めた。

バックには雪渓が残った岩木山が迎えてくれた。

丁度お昼だったので市役所のレストランでランチを食べてから、弘前城の桜巡りを始めた。

先ずは市役所の屋上から景観を楽しんだ。

既に大分散っており残念だったが、それなりに綺麗だった。

屋上からの写真2枚

これが満開の時だったら見応えが有った事でしょう。

このお堀には散った花びらが花筏となり浮かんでいた。

花びらで埋め尽くされ水面が見えない!!

その花筏の中をカモが悠然と泳ぐ姿は不思議な光景だった。

和船に乗って普段見る事が出来ないお濠からの桜を楽しめる。

また、貸しボートから眺める事も出来る。

赤い春陽橋と桜のコラボは外せない。

 

いちばん綺麗だった桜のトンネル

葉桜になっているのではと心配したが、逆に想像以上の花筏が見られて良かった。

天気は晴れ風も殆ど無く、満開は過ぎていたが舞い散る花びらとの共演は風情があり良かった。

妻も満足した一日となった。

 


2024年春の車旅・5日目~6日目(妻の楽しみが・・・!?)

2024年04月22日 | 車旅紀行

5日目

妻の一つ目のイベント「喜寿祝の同期会」は最高に楽しかったと、今朝も余韻に浸っていた。

この日は妻の姉の命日で午前中はお墓参りをするなど等、ゆっくりと過ごした。

夕方は二つ目のイベント「高校時代の友人との泊まり込み合宿?」を約束していた。

気仙沼の旅館で同級生3人と合流し、一晩語り明かす予定だった。

ところが昼食後少ししてから妻が急に吐き気とめまいに襲われた。

この日は日曜で病院はどこも開いていない。

休日対応の当番医は大船渡でかなり離れている。

何回か吐いて少し良くなったので、取り敢えず実家を出発しその旅館で横になる事した。

途中で妻の同級生から気仙沼市立病院は休日でも急患を受け入れてくれると、貴重な情報を貰い急遽そちらに向かった。

休日受付の窓口で症状を伝えると、直ぐに応じてくれた。

めまいと吐き気から脳梗塞・メニエールが考えられ、脳のMRI検査を行う事になった。

その前に吐き気を落ち着かせるための点滴をした。

時間は掛かったが点滴が効いてきたようで、めまいと吐き気は治まった。

その後MRI検査を受けたが、結果は何も問題なかった。

過去の脳梗塞の跡もなく、正常だと言う。

めまいについては明日来院して専門医の診断を受けるよう言われて、吐き気防止など数種類の薬を出してもらって、その夜の治療は終わった。

友人が気を利かして今夜の合流は無理と旅館をキャンセルしてくれていた。

夜も遅くなり病院近くのコンビニで了解を得てP泊

6日目

朝早々に耳鼻科を受診。

聴力検査や平衡感覚など色々と検査をしたが、メニエールでは無い、歳相応の内容だと言われた。

連日の夜更かしから、疲れが出たのだろうとなった。

昨日は大変苦しんだが躰は問題無い事が分かり、逆に安心した。

会えなかった友人達と合流し、レストランでランチタイム。

検査結果が良かったのと体調が回復した妻は、昨日の事なんかすっかり忘れた様で、この態度だ!!

喜寿のババ会のはずが、逢えばいきなり半世紀以上昔にタイムスリップし、気分は乙女の女子会になった。

ランチ後は私の車で二次会、昔の写真を見ながら、ここでも高校時代にワープしていた。

周りに心配させてしまったが、新しい思い出を作ったと言う事で笑い飛ばす事にした。

 

 

 


2024年春の車旅・4日目(陸前高田を散策)

2024年04月20日 | 車旅紀行

今朝も朝食前に散歩した。

昨日歩いた防潮堤ではなく、反対の気仙川上流に向かって歩いた。

川沿いに広い公園が出来ていて、奥にドーム型の施設が目に入った。

近づいて確認すると、それは角材を組み合わせて作られたアーチだった。

その下にはステージが有り、イベントなどで使われるようだ!

そして更に歩を進め道の駅・高田松原の前を通り帰宅。

8000歩近く歩いた。

散歩後の朝食は美味しかった。

今日の午後は妻の小・中学校の同期が集い、喜寿祝の会が有る。

春は何時も西国を訪れていたが、今回東北方面にしたのはその為であった。

妻にとっては久し振りに昔の級友と逢える、楽しみの一大イベントである。

入念に化粧を施し着飾って行く準備に余念がない。

受付時間に合わせて妻を会場のホテルまで送って行った。

午後の2時から始まった一次会が終るのは夕方6時で、二次会も予定されているので、それなりに遅くなりそうである。

連絡が有れば、即迎えに行くのが私の役目である。

今日一日は妻のアッシー君である。

それまで私は自由である。(笑)

と言ってもここは何度も訪れているので、行きたいところもない。

取り敢えず車に給油する事にした。

安さを売りにしているSSで、給油する事にした。

車旅していて何時も思うのだが、高速道路の燃料価格は異常に高い。

次の写真は高速道で掲示されていた価格だが、一般道でこれより高い価格を見た事が無い。

今日の軽油は価格は133.7円/Lだった。

高速道より33.3円/Lも安い。

65Lほど給油したが、差額はバカにならない!!

自宅を出発する時に給油した軽油価格は更に安かった。

126.4円/Lで高速道より40.6円/Lも安い!!

これからも安いSSを探しながら走る事になる。

給油後は道の駅に併設されている「東日本大地震津波伝承館」に立ち寄った。

2019年9月にオープンし、後世に津波の惨状を伝え続ける為の施設である。

ここでは津波で破壊された車や橋げた等が展示され、沢山の写真と動画で津波の惨状を訴えていた。

これは破壊された橋げたの一部である。

厚さ3cm近くの鉄骨が引き裂かれ折れ曲がり300mほど上流に流されたものである。

その状況を記したパネルです。

これは津波の飲まれた消防自動車である。

沢山の写真と共に動画を流すシアター(写真撮影は禁止)もあり、地震・津波の恐ろしさを訴えている。

昨日に続き津波の話になりましたが、この怖さを記憶に残し、まさかの時に備えて欲しいと思っている。

 


2024年・春の車旅3日目(妻の実家で過ごす)

2024年04月19日 | 車旅紀行

昨夜は妻の実家の庭先でP泊した。

風呂に入る前に体重を測ると2日間で1kg以上増えていた。

この二日間は車の運転と友人宅に座り込んでの歓談で、カロリーを消費する様な運動は皆無だった。

その様な事から今朝は妻と散歩に出掛けた。

震災後、妻の実家は陸前高田の広田湾を一望できる場所に移った。

一本松を遠くに眺める事が出来る。

望遠レンズで引き寄せるとこの様に見える。

歩いて防潮堤に向かうと河口に設けられた水門と海岸で、アイナメを狙って竿を一人で合計8本も出していた。

まだ釣果はゼロだった。

釣れていたら私も竿を出したいところだが、その気にならなかった。

高さ12メートルの堤防が完成してから何回か訪れているが、眺めは殆ど変わっていなかった。

植林した松林も大きく変化は無い。

この木が育ち昔の高田松原を取り戻すのは数十年先になりそうである。

散歩から帰ると間もなく妻の弟と従妹がやって来た。

クルミのタレで味付けされた手作りのヨモギ団子や天ぷらを持って来てくれた。

これが中々の味で美味しく頂きながら談笑した。

津波で全てを流され思い出の写真も失った事から、私が撮りためていた写真から皆が映っている昔の写真をプレゼントした。

写真を食い入るようにみて、当時にタイムスリップ!!

懐かしい思い出話が尽きる事は無かった。

震災時の話になり、今ならその当時の写真も見られると言う。

私と妻はキャンピングカーに支援物資を積み込み、震災後11日目に陸前高田に入った。

当時の惨状に驚愕しながらも、記録に残そうと写真を沢山撮っていた。

それをテレビ画面に写して皆で見る事になった。

次々と映し出される写真は、当時の惨状を記録していた。

妻の実家が有った場所の道路に車を止めて撮った写真です。

地震・津波の破壊力が如何に凄いか、写真が物語っている。

写真を見ると津波の惨状が蘇ったが、生活再建の目処が付いている今は冷静に見る事が出来た。

3月~年末までの10ヶ月間に7回訪れたが、キャンピングカーは災害支援に大活躍した。

今日は昔を思い出しながら過ごした一日になった。

 


2024年・春の車旅2日目(気仙沼・大船渡)

2024年04月18日 | 車旅紀行

昨夜P泊した高速道路のPAの小型車エリアはこの通りガラ空きだった。

トラックの騒音も殆ど気にならず、夫婦とも熟睡できた。

今日は仙台から気仙沼に向かって三陸道を使って移動。

妻の高校時代の友人宅に立ち寄り、暫くぶりの再会で話が弾む。

ご主人は家業とは別の顔を待ち、写真家として地元紙に度々掲載されるだけでなく、東京銀座の富士フォトサロンで個展を開くほどの腕前である。

何度か写真撮影に同行させてもらいお世話になっている。

住宅は築200年以上の大きく立派な古民家だが、先の震災で若干の損傷は有ったが大丈夫だった。

話しは尽きないが叉の再会を楽しみにお別れした。

次に立ち寄ったのは大谷海岸の道の駅である。

ここは気仙沼の海産物が沢山揃えられている。

特に鮮魚は安く、鯵とヒラメがこの値段で売られている。

生簀には活魚が泳いでいて、見ていても楽しい。

水槽のガラスにへばり付いているエイの姿は、とぼけた人の顔に見えて思わず微笑んでしまった。

次は大船渡で、やはり妻の高校時代の友人宅を尋ねた。

妻と友人の会話は機関銃の様にとどめも無く続き、私は側で圧倒されながら聞いていた。

その後、陸前高田の妻の自家に到着。

お土産をそれなりに準備してきたが、今回の最大のお土産は古い写真である。

津波で思い出の写真も一緒に流され、昔の写真は一枚も残っていない。

その為、妻は出発する前に昔の写真を引っ張り出し整理して準備した。

兄弟だけでなく従妹や友人達の写真も必要な枚数をプリントし持って来た。

明日以降も、その写真を届けに訪ね歩く事になる。

 

 


.風景写真

四季の風景写真