本書(『日本人のための日本語文法入門 』 原沢伊都夫著)の「あとがき」(本書199頁)に、以下の様に述べられているように、各々の文化が持つ言葉の中には、その文化の影響が色濃く見えます。

言語にはその言葉を使う民族の世界観が色濃く投影されます。日本語にも自然との調和を重んじる世界観が文法規則のなかに埋め込まれています。

日本語を学ぶ外国人にとって、そのような世界観を共有することが、本当の意味での日本語の習得につながるわけです。本書でもくりかえし指摘しているように、言葉を身につけるということはその言葉の奥に潜む文化も同時に身につけることを意味します(本書199頁)

今回の記事では、日本語の文法に見える、日本人の考え方について紹介していきます。

「お湯が沸いた」「お湯を沸かした」の表現に見える日本人の考え方

小見出しとして「お湯が沸いた」と「お湯を沸かした」という表現を掲げましたが、皆さんはどちらの表現を主に用いるでしょうか?前者の表現の方を使う方の方が多いのではないでしょうか。

「お湯が沸いた」という表現は自動詞と言われ、物事の変化を表す表現方法です。一方、「お湯を沸かした」という表現は他動詞と言われ、人間の動作を表す表現方法です。区別するのは簡単で、目的語「~を」が文章に伴えば他動詞となります。

本書の中で筆者が何度も指摘しているように、「お湯が沸いた」という自動詞を用いた表現は「自然中心」の考え方が背景にあり、「お湯を沸かした」という他動詞を用いた表現は「人間中心」の考え方が背景にあります。

日本人は自然中心の自動詞(「お湯が沸いた」という表現)を用いる事が多く、自然中心の考え方が文法に色濃く投影されていると言うのです。

具体例文法特徴
こぼれる、冷える、煮える自動詞状態の変化を表す
こぼす、冷やす、煮る他動詞人間の動作を表す

地名の特徴

本書の中で、金谷武洋氏の『日本語文法の謎を解く』の内容に触れているのですが、自然中心の日本語では空間による地名が多いようです。一方、カナダの地名を見ますと、「バンクーバー」「ヴィクトリア」「レイク・ルイーズ」など、それぞれ探検家、女王、王女の名前がつけられています。

作家の司馬遼太郎氏は『峠』という小説の中で、JRの駅名に人名の名前をつけているのは岡山県にある伯備線「方谷駅」だけであることに触れているそうです。また、ここで使われている「方谷」も「方形(四角)の谷」に由来することから、人の名前としてではなく、地名として駅の名前になったといいます。

他氏が述べる日本語の特徴

本書、第3章〔「自動詞」と「他動詞」の文化論 〕 の中で紹介されている他氏が述べる日本語の特徴について引用します。

小野隆啓さんは、「主語指向型言語である英語では、動作主に焦点を当てて、動作主が何かをするという表現をするのに対して、話題指向型言語である日本語では、動作主は表面に表さずに、あたかも『自然な成り行きでそうなった』というような表現を好むのである」と言っています。

これは、たとえば、「今度引っ越すことになったので、お別れの挨拶に来ました(”I came to say ‘Good-bye’ because I am moving.”)の表現に見ることができます。

この表現を、「今度引っ越すことにしたので、お別れの挨拶に来ました」と言うと、何かのっぴきならぬ理由ができ、そのために引っ越すことを決断したというような強い意志を感じてしまいますね。

そうでなければ、たとえ自分の意志で引っ越しを決めたとしても、日本人なら「引っ越すことになった」という自動詞的な表現を使うことが多いでしょう。英語ではもちろん”I am moving(=I will move)”と自分の意志をはっきり示すのが普通です。

結婚式の招待状でも、「この度私たち二人は結婚式を挙げることになりました」などと書いてありますが、よくよく考えてみると、自分たちで決めたにもかかわらず、自然とそうなったかのような言い方をしていますね。

もし「この度私たち二人は結婚式を挙げることにしました」なんて書かれていると、本来はやるべきものではないのだけど、やることにしたような意味になってしまいます(本書72-73頁)。

池上嘉彦さんという言語学者は『「する」と「なる」の言語学』のなかで、英語には「動作主趣向的」な傾向があり、日本語には「出来事全体把握的」な傾向があると指摘しています。そして、「する」的な言語と「なる」的な言語の対立は、言語類型学的に見ても、きわめて基本的な特徴であることを示唆しています(本書73-74頁)。

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