今回から第3章(弟子品第三)です。『維摩経』というお経は在家の信者を軽んじるエリート仏教(出家仏教)に対する反発として編纂されたという性格を持っているのですが、その影響もあってでしょう、智慧第一で知られる舎利弗をはじめ、釈迦の十大弟子が維摩に悉く論破されていきます。例によって、始めに『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』植木雅俊 訳の解説に掲載されている概説を掲載します。

釈尊は、そのヴィマラキールティが病気になったことを知り、見舞いに行くことを命じる。ところが、智慧第一のシャーリプトラ(舎利弗)をはじめとする十大弟子や、マイトレーヤ(弥勒)をはじめとする菩薩たちは、ことごとくヴィマラキールティに屈服させられた苦い経験を語り、病気見舞いを辞退する(第3章)

『維摩経』全体の概説はこちらをご参照ください。

維摩に論破される釈迦の十大弟子(舎利弗)

その時、維摩の心に「私が今 床に臥しているのに、釈尊は誰も見舞いを寄越してくださらないのだろうか」という思いが生じました。すると、維摩の思いを察知された釈尊は、舎利弗に見舞いに行く様に告げるのですが、「自分はその任に堪えない」と見舞いを辞退し、維摩との苦い思い出を回想します(舎利弗の人物像についてはコチラをご参照ください)。

昔、私(舎利弗)が林の中のある樹の根本で心静かに瞑想していた時のことでした。すると、維摩が近づいて私にこう言うのです(今回は『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』植木雅俊 訳ではなく、ひろさちや氏の要約を鳩摩羅什訳の後に参照しています)。

唯、舎利弗よ、必ずしも是の坐は宴坐と為さざるなり。夫れ宴坐は三界において身と意と現わさざる、是れを宴坐と為す。滅定より起たずして而も諸の威儀を現ずる、是れを宴坐と為す。道法を捨てずして而も凡夫の事を現ずる、心、内に住せず、亦外に在らざる、是れを宴坐と為す。緒見に於いて動ぜずして三十七品を修行する、是れを宴坐と為す。煩悩を断ぜずして涅槃に入る、是れを宴坐と為す。若し能く是くの如く坐せば、仏の印可したもう所なり

舎利弗くん、坐禅というものは、ただ坐ることではない。心身滅却の境地に入ったまま、規律に則った行動をするのが坐禅だ。悟りを得たまま、しかも凡夫の行動をするのが坐禅だ。心を内面にとどめず、しかも外界の事物によって動かされないようにするのが坐禅だ。煩悩を断じないまま、しかも涅槃の境地に達するのが坐禅だ。それが仏の教えておられる坐禅なんだよ(『ひろさちやの「維摩経」講話』ひろさちや著・45頁)

この言葉を聞いて黙り込んでしまった舎利弗。それ故に維摩のもとへお見舞いに行くことに耐えられないと辞退します。

維摩に論破される釈迦の十大弟子(大目犍連)

目連とはどの様な人物か

次に釈尊から指名を受けたのが神通第一と称される大目犍連(以下、目連と略す)でした。第1章(仏国土品)で舎利弗が登場した際に、目連については舎利弗の説明とともに簡単に触れましたが、舎利弗と目連は元々友人で、釈尊のお弟子になる前は懐疑論者のサンジャヤの門下に入っていた人物です。

舎利弗と目連は終生変わらない友情で結ばれており、釈尊の門下に入ってからも、二人がともに行動する機会が多かったようです。例えば、提婆達多(デーヴァダッタ)の反逆行為によって教団が分裂する危機に瀕したとき、提婆達多について教団を出て行った比丘たちを連れ戻してきたのは、この二人でありました(『釈尊と十大弟子』ひろさちや著・取意)。

神通力(不思議な力)に長けていた目連ですが、六神通のうち第六番目の漏尽通(世界と人生についての真理を悟りうる智慧)以外の神通力、たとえば、天眼通(人々の未来の運命を予知する能力)や他心通(他人のこころを知る能力)など、仏教の目的と直接関係の無い神通力については、釈尊から使用を禁じられていたようです。

例えば、釈尊の晩年の頃、この様な出来事がありました。若き頃、釈迦国に留学した際に釈迦族の人々に辱められたのを根に持って、コーサラ国の瑠璃王が、復讐心をもって釈迦国(釈尊の故郷)に攻め込んできたきたことがありました。

釈迦国へ通じる街道の枯れ木の下で瞑想していらっしゃる釈尊に気づいた瑠璃王は、釈尊に敬意を表して進撃を一時中止しました。けれども、根本的な解決を見たわけではありません。釈迦国の滅亡の日が近いことを感じた目連は、神通力をもって釈迦国を鉄の籠ですっぽりと覆い、救いましょうかと進言します。

しかし、釈尊はその進言を退けられました。釈迦国全体の人々が積んだ行いの果報を、いったい誰がかわりに受けることが出来るのだろうか、と言うのです。

原因と結果の関係を正しく見極め、行動によって問題を解決するというのが釈尊の態度です。神通力(不思議な力)によって問題を解決するのは仏教の教えとは外れたものでした。こうして、釈尊自身も、街道の枯れ木の下での坐禅を中止し、瑠璃王は釈迦国を攻め、釈迦国の人々は一人残らず殺されてしまったのです(『釈尊と十大弟子』ひろさちや著・取意)。


目連もまた舎利弗と同じく釈尊より先に亡くなっています。目連は釈尊の説法を邪魔しにくる異教徒を追い払ったりと、師のボディーガード役も務めました。そのせいもあって、異教徒からことさら憎まれていたのです。最期は、彼を憎む異教徒たちに街頭でおそわれ石や瓦でたたき殺されてしまうのです。肉は裂け、骨まで砕けた瀕死のもとにかけつけたのは幼馴染みの舎利弗。その舎利弗にお別れの言葉を継げて欲しいと息を引き取ります(『釈迦と十大弟子』西村公朝著・取意)

『釈迦と十大弟子』西村公朝著

目連、維摩に論破される

仏は大目犍連に告げたまえり。「汝、維摩詰に行詣して、疾を問え」。

維摩にお見舞いに行く様、釈尊から指名を受けたのが目連です。しかし、目連もまた自分はその任に堪えないと言い、維摩との苦い思い出を回想します。

ある時、目連がヴァイシャーリーの大都城のとある門の所で、資産家たちのために法を説いておりました。すると、維摩がやってきて「法は、まさに法のままに説くべきである」と叱られます。

以前、「布教者の十段位」というのをこのブログで紹介しましたが、目連の説教は第六段位であったのでしょうか。そんな説教では駄目だと維摩に叱られます。

第六段位

五段までに於いて、話し方の修練鍛錬は積んだ。しかし、まだ聴衆の時期を弁えていない。法儀の進んでいる土地では因縁・譬喩を長々とすれば嫌うであろう。また、法義の進んでいない土地ではいきなり安心談をしても訳の分らぬであろう。信心の話は内に含ませて話す(『布教法入門』布教研究所編)。

維摩の言う、 「法は、まさに法のままに説くべきである」 とは、布教段位で言う第十段位の説法なのでしょう。法を讃嘆していることすら忘れる、そんな境地です。

第十段位

九段に於いてまだ未熟な点が出てきた。これは説教がまだ心の上にあるからである。十段の妙位とは、説教ということは忘れてまい、念頭に更になく、只讃題だけは、恭敬尊重の思いより頂けども、その後は座敷にて対話する心持ちと少しも変わらず、自然に話しするのみなれど、以上九段までの修練研究を積んだ為、自然に序破急の三つが揃うのである (『布教法入門』布教研究所編)

教団を代表する舎利弗・目連でも維摩の見舞いの任に堪えられないと辞退します。次に釈尊の指名を受けたのが、大迦葉(摩訶迦葉)でした。内容は次の記事に譲ります。

浄土真宗及び仏教について、他の方もいろいろ記事を書いてくださっています。 詳細は下記URLをクリック。

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