ここまで、2日毎に親鸞聖人のご生涯を綴った『御伝鈔』の内容を紹介してきましたが一休憩して、「聞見」について書き記しておこうと思います。普段、大変お世話になっている先輩が東京教区の布教団のお役についており、その方の配慮で成道会でお話させて頂くことなりましたので、今回の記事と次にアップロードする「柳家小さん師匠と立川談志師匠」の話を中核に据えてお話しようと思っています。

聞見という言葉は『涅槃経』に登場する言葉であり、『教行信証』「真仏土巻」に『涅槃経』「師子吼品」を以下の様に親鸞聖人は引用されています。以下、『註釈版』と本願寺出版社から出版されております現代語訳の『教行信証』の対照表です。

『註釈版』現代語訳
またのたまはく(同・師子吼品)、また次のように説かれている(涅槃経)。
「〈一切覚者を名づけて仏性とす。「〈すべてをさとったものを仏性という。
十住の菩薩は名づけて一切覚とすることを得ざるがゆゑに、第十地の菩薩はすべてをさとったものとはいえないから、
このゆゑに見るといへども明了ならず。仏性を見るといっても明らかに見るのではない。
善男子、見に二種あり。善良なものよ、見るということに二種ある。
一つには眼見、二つには聞見なり。一つには眼見、二つにも聞見である。
諸仏世尊は眼に仏性を見そなはす、掌のうちにおいて阿摩勒菓を観ずる
がごとし。
仏がたは手のひらに置いた阿摩勒菓を見るように、はっきりと仏性をご覧になる。
十住の菩薩、第十地の菩薩は、
仏性を聞見すれども、仏性を聞見するけれども、
ことさらに了々ならず。それほど明らかに見るのではない。
十住の菩薩、第十地の菩薩は、
ただよくみづからさだめて阿耨多羅三藐三菩提を得ることを知りて、ただ自分が間違いなくこの上ないさとりを得ると知ることができるが
一切衆生はことごとく仏性ありと知ることあたはず。すべての衆生にみな仏性があると知ることはできないのである。
善男子、また眼見あり。諸仏如来なり。善良なものよ、仏性を眼見するのは、仏がたである。
十住の菩薩は、仏性を眼見し、また聞見することあり。第十地の菩薩は、少しは眼見もするが聞見もする。
一切衆生、乃至九地までに、仏性を聞見す。すべての衆生は、第九地の菩薩にいたるまで、みな仏性を聞見する。
菩薩、もし一切衆生ことごとく仏性ありと聞けども、ただし菩薩が、すべての衆生にみな仏性があると聞いても、
心に信を生ぜざれば、聞見と名づけず〉と。{乃至}それを信じなければ、聞見とはいわないのである〉(中略)
師子吼菩薩摩訶薩まうさく、師子吼菩薩が申しあげる。
〈世尊、一切衆生は如来の心相を知ることを得ることあたはず。〈世尊、すべての衆生は如来のお心を知ることができません。
まさにいかんが観じて知ることを得べきや〉と。どのように観察してそのお心を知ることができるのでしょうか〉と。
〈善男子、一切衆生は実に如来の心相を知ることあたはず。善良なものよ、すべての衆生は本当に如来の心を知ることはできない。
もし観察して知ることを得んと欲はば、二つの因縁あり。もし観察して知りたいと思うなら、二つの方法がある。
一つには眼見、二つには聞見なり。一つには眼見、二つには聞見である。
もし如来所有の身業を見たてまつらんは、まさに知るべし、これすなはち如来とするなり。これを眼見と名づく。如来の身業を見たてまつり、これが如来であると知ることを眼見という。
もし如来所有の口業を観ぜん、まさに知るべし、これすなはち如来とするなり。これを聞見と名づく。如来の口業を観察して、これが如来であると知ることを聞見という。
もし色貌を見たてまつること、一切衆生のともに等しきものなけん、まさに知るべし、如来のおすがたを見たてまつると、そのおすがたはすべての衆生に超えすぐれている。
これすなはち如来とするなり。そこでこれが如来であると知る。
これを眼見と名づく。これを眼見という。
もし音声微妙最勝なるを聞かん、如来の声を聞くと、この上なくすぐれており、
衆生所有の音声には同じからじ、衆生の声とは異なっている。
まさに知るべし、これすなはち如来とするなり。そこでこれが如来であると知る。
これを聞見と名づく。これを聞見という。
もし如来所作の神通を見たてまつらんに、如来の不可思議なはたらきを見たてまつり、
衆生のためとやせん、それが衆生のためなのか、
利養のためとやせん。如来ご自身のためなのかというと、
もし衆生のためにして利養のためにせず、それは衆生のためであってご自身のためではない。
まさに知るべし、これすなはち如来とするなり。そこでこれが如来であると知る。
これを眼見と名づく。これを眼見という。
もし如来を観ずるに、如来を観察すると、
他心智をもつて衆生を観そなはす時、如来が他心通により
利養のために説き、衆生のために説かん。衆生のありさまを知られて教えを説かれている。
もし衆生のためにして利養のためにせざらん、それは如来ご自身のためなのか、衆生のためなのかというと、衆生のためであってご自身のためではない。
まさに知るべし、これすなはち如来とするなり。そこでこれが如来であると知る。
これを聞見と名づく〉」と。{略出}これを聞見という〉

 眼見と聞見が交互に説明されておりますので、整理すると以下の様になります。

眼見聞見
主体仏・第十地の菩薩第十地の菩薩・それ以外の菩薩と衆生
経文1ただし菩薩が、すべての衆生にみな仏性があると聞いても、それを信じなければ、聞見とはいわないのである
経文2如来の身業を見たてまつり、これが如来であると知ることを眼見という。如来の口業を観察して、これが如来であると知ることを聞見という。
経文3如来のおすがたを見たてまつると、そのおすがたはすべての衆生に超えすぐれている。そこでこれが如来であると知る。これを眼見という。如来の声を聞くと、この上なくすぐれており、衆生の声とは異なっている。そこでこれが如来であると知る。これを聞見という。
経文4如来の不可思議なはたらきを見たてまつり、それが衆生のためなのか、如来ご自身のためなのかというと、それは衆生のためであってご自身のためではない。そこでこれが如来であると知る。これを眼見という。如来を観察すると、如来が他心通により衆生のありさまを知られて教えを説かれている。それは如来ご自身のためなのか、衆生のためなのかというと、衆生のためであってご自身のためではない。そこでこれが如来であると知る。これを聞見という。

整理したものを拝見すると、眼見を行うことが出来るのは仏のみであって(第十地の菩薩も多少は可能)、他の者は聞見をすると説明されています。

聞見とは即ち仏さまのお心に適うということでしょう。

この聞見と眼見に関連して、教区内の法友が龍谷大学の准教授である井上見淳先生のご法話を紹介してくださっています(廣國山 稱名寺「遇」)。次に紹介する『摩訶僧祇律』の説話の中に、お釈迦さまにまみえる前にご逝去なさった修行僧が登場しますが、この修行僧は実際にお釈迦さまに会うことはありませんでした。しかし、お釈迦さまのお心に適っているという意味で仏さまに既にまみえているとあります。ここで言う「見」は聞見に通じる内容を持っています。

注意しておかなければいけないのは、この説話の中で仏さまに実際にお会いはしたが、仏さまのお心に適っていないが故に仏さまに会っているとは言えないという旨の内容がありますが、先に紹介した眼見とは内容が違っています。

因みに、先日、拙寺の報恩講に井上見淳先生がご出講くださいまして、その宴席の場でこの説話の話が話題にあがり、『摩訶僧祇律』に登場する話であると教えてくださいました。

縁あって、築地本願寺の成道会で話す機会を与えられましたので、早速この話をしてみようとSAT大正新脩大藏經テキストデータベースで調べた所(『摩訶僧祇律』にチェックを入れて「虫(蟲)」で検索を掛けると引っ掛かります)、該当の話に辿り着きました。

ただ、大蔵経には訓点が施されていなく、私自身、漢文の原文の書き下しについてかなり適当にやってきたので、大学院時代からの友人である真名子晃征さんに色々指導して頂きまして書き下したのが以下の文章です。ただし、送り仮名については、感覚的に施しているので、正確に知りたい方はご自身でお調べください。

因みに原文の「T1425_.22.0372c18」という文字の羅列は、大正新脩大蔵経の中の掲載場所を示しています。

原文書き下し
T1425_.22.0372c18: 佛住毘舍離。廣説如上。爾時尊者優陀夷行仏、毘舎離に住す。広く上の如く説けり。その時、尊者優陀夷、
T1425_.22.0372c19: 道渇極。入聚落從女人索水。姉妹。施我水。道を行きて渇き窮まらん。聚落に入りて女人より水を索める。姉妹、我れに水を施す。
T1425_.22.0372c20: 女人即以水與之。水中有蟲。優陀夷見已。女人、即ち水を以つて之を与ふ。水の中に蟲あり。優陀夷見おわらん。
T1425_.22.0372c21: 作是念。我但飮此無蟲處。飮時蟲隨水入是の念を作す。我れただ此の蟲無き所を飲む。飲む時、蟲、水に隨ひて口に入る。
T1425_.22.0372c22: 口。飮已心生疑。即以是因縁。往白世尊。佛飲み已りて心疑いを生ず。即ちこの因縁を以つて往きて世尊に白(もう)す。
T1425_.22.0372c23: 言。汝云何知水有蟲而飮。此非法非律。非如仏言く、汝、如何して水に蟲有りて飲むを知るや。此れ、法に非ず、律に非ず。仏教の如くに非ず。
T1425_.22.0372c24: 佛教。不可以是長養善法。從今日後知水有是を以つて長養善法にべからず。今日より後、
T1425_.22.0372c25: 蟲不得飮水に蟲有りと知りて、飲むことを得ざれ。
T1425_.22.0372c26: 復次佛住舍衞城。廣説如上。時南方波羅脂また次に仏舎衛城に住す。広く上の如く説けり。時に南方、波羅脂
T1425_.22.0372c27: 國有二比丘。共伴來詣舍衞。問訊世尊。中路国に二比丘有り。共に伴いて舎衛に来詣す。世尊に問迅す。中路、
T1425_.22.0372c28: 渇乏無水。前到一井。一比丘汲水便飮。一比渇き乏しくして水無し。前に一井に到る。一比丘水を汲みて便ち飲む。一比
T1425_.22.0372c29: 丘看水見蟲不飮。21飮水比丘問伴比丘言。汝丘、水を看て虫を見て飲まず。水を飲む比丘伴う比丘に問いて言う。汝、
T1425_.22.0373a01: 何不飮。答言。世尊制戒不得飮蟲水。此水有何ぞ飲まんや。答えて言う。世尊、蟲水を飲むことを得ざれと制戒す。この水に蟲有り。
T1425_.22.0373a02: 蟲。是故不飮。飮水比丘復重勸言。長老。汝但この故に飲まず。水を飲む比丘、復た重ねて勧言す。長老。汝但、
T1425_.22.0373a03: 飮水。勿令渇死不得見佛。答言。我寧喪身不水を飲め。渇き死して仏を見ること得ざらしむることなかれ。答えて言う。我れ寧ろ、身を喪ヘども
T1425_.22.0373a04: 毀佛戒。作是語已。遂便渇死。飮水比丘漸漸仏戒を毀さず。この語を作し已りて、遂に便ち渇きて死す。水を飲む比丘漸漸に
T1425_.22.0373a05: 往到佛所。頭面禮足却住一面。佛知而故問。仏所に住到す。頭面礼足して、却きて一面を住す。佛知りて、故に問ふ。
T1425_.22.0373a06: 比丘汝從何來。答言。我從波羅脂國來。佛言。比丘、汝いずこより来れり。答えて言う。我れ波羅脂国より来れり。仏言く。
T1425_.22.0373a07: 比丘汝有伴不。答言。有二人爲伴。道中渇乏比丘、汝、伴を有やいなや。答えて言う。二人有て伴と為す。道中、渇き乏しくすれども、
T1425_.22.0373a08: 無水到一井。井水有蟲。我即飮之。因水氣力水無くして一井に到る。井水、蟲有り。我れ即ち之を飲む。水気力に因りて、
T1425_.22.0373a09: 得奉1覲世尊。彼守戒不飮。即便渇死。佛言。世尊を観奉ることを得。彼、戒を守りて飲まず。すなわち渇きて死す。仏言く
T1425_.22.0373a10: 癡人。汝不見我謂得見我。彼死比丘已先見癡人。汝、我を見ずして、我を見ることを得たりと謂ふ。彼の死比丘、已に先に我れを見る。
T1425_.22.0373a11: 我。若比丘放逸懈怠不攝諸根。如是比丘雖もし比丘、放逸懈怠にして諸根を摂めずば、此の如き比丘、
T1425_.22.0373a12: 共我一處。彼離我遠。彼雖見我我不見彼。若共に我れと一処と雖も、彼離れて我れ遠し。彼、我れを見ると雖も、我れ彼を見ず。若し、
T1425_.22.0373a13: 有比丘在海彼岸。能不放逸精進不懈。2撿攝比丘の海の彼岸に在ること有りて、よく放逸せず精進し懈けず、
T1425_.22.0373a14: 諸根。雖去我遠我常見彼。彼常近我。佛告比諸根を撿攝す。我れを去ること遠しと雖も、我れ常に彼を見る。彼、常に我れに近し。仏比丘に告ぐ。
T1425_.22.0373a15: 丘。此是惡事非法非律。3非如佛教。不可以此は是、悪事、法に非ず律に非ず。仏教の如きに非ず。以つて是長養善法べからず。
T1425_.22.0373a16: 是長養善法。從今日後知水有蟲不得飮。佛今日より後、水に蟲有るを知りて、飲むことを得ざれ。

以下の文章は法話用に言葉を和らげたり、話を膨らませたものです。


阿弥陀経が説かれる舞台である舎衛国の首都にお釈迦さまがいらっしゃいまして、この様なお説法をなさいました。

舎衛国より南方へ280キロほど下ったヴァーラーナシー(ベナレス)という国に二人の修行僧がいました。

『摩訶僧祇律』の中では波羅脂国と漢訳されるこの国は、お釈迦さまが初めて説法をなさった鹿野苑の近くにある都市であり、非常に経済力を持った都市でもありました。『観無量寿経』というお経の舞台である王舎城はマガダ国を修めるビンビサーラ(頻婆娑羅)王の居城でありましたが、このマガダ国は経済力のあるヴァーラーナシー(ベナレス)を制服したことも相俟ってインド全体を統一していきます。

その様に非常に豊かな国にあったこの二人の修行僧は、遠く離れた舎衛国にましますお釈迦さまにまみえたいと、修行に適した街の郊外を離れ、歩みを進めました。交通手段が今に比べて発達していない2500年前のことですので、一日30キロほど歩いたとしても10日ほど掛かるでしょうか。

途中、手持ちの飲み水は尽きてしまい、喉の渇きは極みに達します。そうした折り、運良く井戸に辿り着きました。修行僧の一人は早速、水をすくって喉の渇きを癒やしますが、もう一人の修行僧は井戸の水に小さな虫いるのを見て、井戸の水を飲もうとしません。

既に渇きを癒やした修行僧の一人が「なぜ水を飲まないのか?」と尋ねますと、「お釈迦さまは虫がいる水を口にする事なかれと仰った。だから、私はこの水を口にする事は出来ない」とその修行僧は答えます。

それを聞いたもう一人の修行僧は重ねてこう言いました。喉の渇きによって命を落し仏さまに出会えない様な事態に陥るなら、戒めを破ってお釈迦さまにまみえた方がいいじゃないか、と。

それに対して、水を口にする事を拒んだ修行僧は、この身が朽ち果てようとも私はお釈迦さまの教えを破るわけにはいかないと答え、遂には命を落としてしまいます。

一方、お釈迦さまの戒めを破った方の比丘は、渇きを癒やしどうにかしてお釈迦さまの元へ辿り着くことが出来ました。

お釈迦さまにお会いして、一連の挨拶の作法をなし終わり尊顔を拝見いたしますと、全ての事を見通していたお釈迦さまは敢えて「どこから来たのか?お共はいなかったのか?」と問います。

そこで、この修行僧は事の経緯、即ち、道中一緒であった修行僧はお釈迦さまの言いつけを守ったために命を落とし、自分は戒めを破ったけれども、水を得たことを告げますと、お釈迦さまは「愚か者よ」と言い、続けて、貴方は本当に仏に出会わずして私を見たと言うけれども、私の戒めを守って命落としていった修行僧こそが已に私を見ていると仰います。

お釈迦さまを目の前にした修行僧は、「貴方は本当に私にであっていない」と言われて困惑したことでしょう。

続けて、たとえ仏である私に会ったとしても、私の戒めを捨て去って、自分自身の思いの欲しいままに振る舞ったならば、その修行僧は仏から遠く離れ、反対に、仏の戒めを守ったために命を落とした修行僧は、物理的には仏から遠離れているとしても、その修行僧こそが真に仏に出会ったと言えるのであるとの厳しい戒めをなさいました。


この説話は浄土真宗にも通じる話ではないでしょうか。親鸞聖人は「本願力に遇いぬれば」とご和讃くださっておりますが、物質的に存在する仏さまに出会っていくのではなく、仏さまの願いに聞きひらかれていく様な出会い方を親鸞聖人は「遇」と言う字で表現されているのでしょう。

次の記事では、「聞見」についての具体的な例として、ある噺家にまつわる話を紹介したいと思います。

浄土真宗及び仏教について、他の方もいろいろ記事を書いてくださっています。 詳細は下記URLをクリック。

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