WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

息子よ、お前は大器晩成だ

泣くムスコと格闘して何とか保育園につれていく、いつもどおりの朝。疲れ果てた身で乗り込むは満員電車。抵抗虚しく圧縮され身体の自由も聞かない中、頭に思い浮かぶのは、ムスコに関する懸念だ。

オムツは外れず、着替えもできず、保育園に行ってもずっと抱っこだ。他の子が、身の回り品の用意を自分でやったり、保護者と笑顔で別れているのを見ると、やはり心にクるのだ。

他の子と比較してはいけない。個性なんだからのんびり育てればいい。

そういう意見もあるだろう。子供の脳を傷つけない、合理的な態度だ。僕も、自分と関係ない他人の子供相手なら、そう考えることができるだろう。ムスコに対してそれができないのは、感情が入り込むからだ。心配なのだ。ムスコがこの調子で、この先やっていけるのか。社会に出るまでの道すがら、脱落してしまうのではないか。繰り返されるエクストリーム登園と、満員電車、減らない日々のタスクは、僕の思考を日々ネガティブに傾けていった。

不安を抱え一人で飲み込めるほど、僕は大層な人間ではない。先日、実家に帰省した夜、抱える不安を愚痴という形で父に吐き出した。
育児の苦労を語る僕に父は「お前も変わった子供だった」と返した。自分の幼児期はどう変わっていたのか。何分幼い時のことなので詳しく覚えていない。ただ一つ、幼い僕に父がよく言っていたフレーズは頭に残っている。
「息子よ、お前は大器晩成だ」

大器晩成、大きな器は完成までに時間がかかるということだ。しかし今の僕の立場だと、この言葉に隠されていた意味が見えてくる。器は、まだまだ完成には程遠いということだ。

気恥ずかしくて直接は聞けなかったが、かつての僕は今のムスコのように出来ない事が多く、かつての父は今の僕のように心配していたのだろう。感情が入り込みネガティブな態度が外に出ようとする中、僕を傷つけまいと、自分に言い聞かせようと、父は大器晩成という言葉に頼ったのではないか。

時代は移っても、歴史は幾度となく繰り返される。かつて僕と父の間で起こっていたことが、今はムスコと僕、役者や立場が入れ替わって再び起こっているのだ。やはり僕とムスコは親子で、似たものどうしなんだろう。

なら、僕もこの言葉に頼ろう。かつて父がそうしたように。ムスコを励ますように。

「ムスコよ、お前は大器晩成だ」