マエストロの白熱教室 指揮者・広上淳一の音楽道場 | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

1110日、青葉区民文化センター フィリアホール)
出演 広上淳一(指揮)、永野風歌(司会)

東京音楽大学指揮科学生(指揮)

東京音楽大学器楽科学生によるオーケストラ

 

今回で7回目となる、指揮の公開レッスン。課題曲は、ブラームスの交響曲第2番。緻密に書かれた作品は、教材としては最高だ。前半と後半に別れ、各楽章を生徒が指揮。それを広上や、東京音大の先生が講評、広上が指導する。

午後1時からの開演に遅れ、途中から参加することになった。係員に誘導され2階のステージ横に座る。指揮者の表情を見るにはちょうどよい。

 

ちょうど若い女子学生Hさんが指導を受けていた。課題は、第4楽章。喜びが爆発するエネルギーに満ちた楽章だ。第1主題のあとの練習番号Aから、やり直しを言われていた。広上が、どういうつもりで、ここを指揮しているのかを問うと、彼女は大きなイベントのまえのウキウキした前日の気持ちが、当日に爆発するようだと答える。じゃあ、ワーッと叫んでごらんと言われ、叫びなから指揮すると音楽に勢いがでた。分かりやすい指導だ。

 

次の生徒はSさん。何と50歳のベテラン。ポーランドで行われた指揮者コンクールで入賞し、自信がついたのか、堂々とした指揮ぶり。音楽に重みがあり、本格的だ。講評も「オーラがある」「こういうのを化けたと言うんだね」と好評だった。広上は、譜面を閉じて楽員とアイコンタクトを増やすこと。下を見ないてティンパニのあたりの上を見るようにと指導していた。慣れてきたことが「負」になるので気をつけるように、というアドバイスも受けていた。

 

次の生徒も60代の男性のHさん。某テレビ局に勤務していたとのこと。コントラバスと指揮の両方をしている。たんたんとした指揮で、動きは激しくない。最後のコーダで、タメをつくったのには、驚かされた。結構自分を出している。音楽的には、ひょうひょうとしていて、全体に音楽がただ流れているだけ、という印象。

 

広上は、司会の永野風歌に「どう思う?」と聞く。彼女は「本当に音楽が好きなのか」とシビアな発言。ちなみに永野も指揮を勉強しながらタレント活動を行っている。他の先生方も「考えすぎ」「アイデアが伝わってこない」と厳しい。

広上は、「エリート大学を出てエリート会社に入って、もくもくと働いた方。学生たちと一緒に帰るなど、いいひとだと思う。」と彼を擁護するようだった。

ただ一方で「19世紀の巨匠のような力の抜けた指揮だが、それは実力があるから、できること。いまは大汗かいて必死にやるとき。衣服を破り捨てて、裸になって指揮すべきだ」と厳しい言葉もつけ加えた。Hさんは、「指揮者が力んでもそのとおりの音にならないのでは」と反論。よく言えるなあ、とこれもまたびっくり。

広上は「Aで飛び上がって指揮してごらん」と指示、Hさん、上着を脱いで気合を入れると、場内から拍手が沸いた。果たして、実際にHさんが飛び上がると、音楽は勢いが出た。殻を何度も破って脱皮しないと、いい指揮者にはなれないのかもしれないと感じた。

 

ここで休憩。

後半は、私の友人でもある方が2人出た。仮にK君とHさん(女性)とする。K君は、卒業が決まっている。Hさんはピアニストとしてはプロとして活動しており、指揮もプロと言っていい人だ。課題は第3楽章アレグレット・グラチオーソ。のんびりした楽章だが、テンポの速くなったりもどったりという変化があり、簡単とは言えない。

K君の指揮は、なかなか良かった。落ち着いた指揮ぶりであり、よくまとまっていて、年季が入っていることを感じさせる。

 Hさんは、さすがの指揮だった。音楽が細やかだ。フレーズも丁寧に指示していたし、オーケストラとのコンタクトもよく出ている。音楽の中身は、一番あったのではないだろうか。

二人の間にI君と言う人が指揮した。たんたんとした指揮であまり表情がない。

 

 三人への講評はなかなか良い。ある先生は「3人とも自分の良さが出ていた。このまま伸ばしていけばいい」と高評価。広上は、I君に対して「前よりリラックスできるようになった」と褒めた。このあと、リーダーになるということは、自分の言葉を相手と共有できるようになること、相手が自分の言葉を理解できるようにすること、など指揮者にとって必要なコミュニケーション能力の話が続いた。

 

 

 最後にロシア人のAさんが第2楽章を、最後に3人が第1楽章をリレーしながら、指揮した。

 4人ともソツなく指揮をしていた。広上はロシア人のAさんに、最後のコーダの間の取り方を丁寧に教えていた。

 

 最後に講評したN響コントラバス奏者、池松先生の言葉が、今日一番共感できた。
『テクニックに関しては今すぐプロオケを振っても大丈夫だが、テクニックばかりに目が行き、みなさんに一番足りないのは、イマジネーションとファンタジー。以前ベルリン・フィルの首席フルート奏者、エマニュエル・パユの後ろで演奏したことがある。パユが最初の一音を吹いただけで、目の前に緑の草原の光景が広がった。パユが講習会で生徒にジョリベのフルート協奏曲のレッスンをしていて、生徒にサルの声をまねてごらんと指導していた。生徒がキーキーと言うと、違う、と言って本物のサルのような鳴き声をつくってみせた。指揮者には、そうした強烈なイメージが一番必要だ。』

 

 私自身の感想は、今日のような教室は何のためにやっているのか?という点につきる。指揮のテクニックなのか、コミュニケーションの方法を学んでいるのか、あるいは、実際にオーケストラを人前で指揮することで、自分の殻を破るのか?

 私ならそうしたテクニカルなことではなく、スコアをどう読むのか、という解釈を優先させる。オーケストラの縦の線を合わせたり、オーケストラをひっぱるためのテクニックではなく、スコアのうしろにあるもの、歴史的、文化的伝統や、作曲家がそのフレーズや旋律に込めたものをどう読むか、を伝えたい。こうした観点は、最後に発言した先生とかぶる部分だと思う。