エリアフ・インバル 東京都交響楽団 ショスタコーヴィチ「交響曲第11番《1905年》」 | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

1111日、東京文化会館大ホール)
 チャイコフスキー「幻想曲《フランチェスカ・ダ・ リミニ》」の中間部は、ロマンティックにたっぷりと鳴らすことはなく、劇的だが、感情が掻き立てられるということがない。悲劇的な最後の和音の連打は鋭い響きで、きっちりと音楽を締めくくるという印象。

 

ショスタコーヴィチ「交響曲第11番《1905年》」は、冒頭のハーブと弦の合奏を聴いただけで、ショスタコーヴィチらしい沈痛な世界が広がった。インバルの情感を抑えた指揮は、ショスタコーヴィチの音楽の冷徹な側面に合っており、彼のブルックナーやマーラーよりも好きだ。

 

ただ、期待が大きかった分、今日の演奏はほぼ予想通りの範囲内に収まっていた。都響もトランペットやホルンの一部が珍しく不安定だったり、アンサンブルの精度や迫力は、2013323日に聴いた第4番に較べれば、劣るように思えた。そのときは1階ステージに近い席であり、今日は2階正面という距離感の違いもあったので、単純な比較はできないが。


 第2楽章「1月9日」の冬宮前広場での一斉射撃に倒れる人々の惨劇も、戦慄するまでには至らなかった。逆に言うと、インバルの指揮はよくコントロールされていたとも言える。チェロとコントラバスの低音は、ふだん数多く聴く1階席よりも分厚い音がよく響いてきた。

 

第4楽章「警鐘」の革命の犠牲者を悼む「脱帽せよ」の主題の咆哮とともに、鐘が打ち鳴らされる終結部では、鐘が鳴り終わると同時に、奏者は手で響きを止めた。余韻になかで終わる演奏も聴いてみたいものだ。

 

16日土曜日のショスタコーヴィチ「交響曲第12番《1917年》」が、どういう演奏になるのか、楽しみにしたい。

写真:©東京都交響楽団