アラン・ギルバート 東京都交響楽団 矢部達哉(ヴァイオリン) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


129日、東京文化会館大ホール)
 相思相愛のギルバートと都響、今日も好調。プログラムはとても凝っていて、現代音楽の作曲家が、バロック音楽やロマン派の作曲家作品を編曲、あるいは改作した曲に、バルトークとハイドンを組み合わせたもの。

リスト(アダムズ編曲):悲しみのゴンドラ

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1 Sz.36

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アデス:クープランからの3つの習作(2006)(日本初演)

ハイドン:交響曲第90番 ハ長調 Hob.I:90

 

前半は旋律の美しいロマンティックな曲、後半はユーモアを感じさせる曲にまとめられていた。

 

1曲目はジョン・アダムズが晩年のリストの作品「悲しみのゴンドラ」を編曲したもの。

波の上を漂うような、ゆったりとしたリズムの上で、静かな旋律が流れて行き、やがて消えていく。ギルバートが指揮する都響の音は、温かみがある。

 

矢部達哉をソリストとしたバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第1番」は、26歳のバルトークが、若手女性ヴァイオリニスト、シュテファイ・ゲイエルに恋して、彼女のために作曲、献呈した。結果的に、バルトークはゲイエルとの恋愛は成就せず、作品も演奏されることなく、ゲイエルの死んだ1956年まで発見されなかった。


 2楽章から成り、第1楽章は甘くロマンティックな主題から始まる。以降連綿と甘い旋律が続く。バルトークとは思えない、とろけるような音楽だ。第2楽章は技巧的で、バルトークがゲイエルのテクニックを披露させるために書いたもの。

 矢部達哉の演奏は、艶やかな音と正確なテクニック、端正な表現で格調高い。もう少し前に出て目立ってもいいのではと感じた。

 

 アデス「クープランからの3つの習作」は、ブリテンの再来といわれるアデス(1971-)の天才的なひらめきを感じさせる作品。ただ楽しく美しいだけではなく、聴いているとリズムの変化や音色に細かな細工が施されていることがわかってくる。

オーケストラの配置は、弦楽器が左右対照になるように分かれる。楽器も巨大なバス・マリンバや、バス・フルートなど、ふだん聴く機会の少ない楽器も使われる。

ユーモアも感じさせる作品で、聴くほうももちろん、演奏するほうも楽しいと思うが、都響の楽員は、真面目なのか、表情が硬い。もっと楽しそうに演奏してもいいのでは。

 

最後は、ハイドンの「交響曲第90番 ハ長調」。ピリオド奏法ではなく、適度にヴィブラートを使った聴きやすい演奏。颯爽として活気のある演奏。第1楽章など、ベートーヴェンの第4番を思わせる生き生きとした表情がある。

悪戯が大好きなハイドンのユーモアに輪をかけて、ギルバートがお茶目ぶりを発揮した第4楽章が楽しかった。

弾けるような勢いのある第4楽章の終結部がきっぱりと終ると、拍手がパラパラと起こった。ギルバートが客席を向いて、「もう1回」と指で示してから、4小節の長い休止を置いて、本当の終結部がまた始まった。

 

びしっと2回目が終わり、今度こそ終わりと、ギルバートが楽員を立たせようとすると、コンサートマスターの四方恭子が「ちょっと待ってください。再現部からの繰り返しの指示を忘れています。」と、パート譜をギルバートに見せる。客席から笑いが起こる。ギルバートは「ゴメンナサイ」と客席を見て謝ってから演奏を始めた。しかし、これはギルバートと都響の考えた演出に違いない。

 

今度こそきっちりと終ると、盛大な拍手が起きた。ギルバートは、カーテンコールに戻るとき、もう一度繰り返しをしようと指揮台に向かっていき、さらに笑いをとっていた。

都響のfacebookにそのときの映像が上がっていますが、音声が入ってないのがなぜかわかりません???。

https://www.facebook.com/watch/?v=441932249805209&external_log_id=b7e31d971030b51f8ee650c81b82638a&q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3

 ギルバートと都響のように、再現部の繰り返しをしたのがサイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団のライヴCD。最初の休止で客席から盛大な拍手が起きる。二度目の休止でも、またもや盛大な拍手。ラトルが何か言ったのか、笑い声も起きた後、三回目が始まり、今度こそ終わると最後は大喝采。これも楽しいです。