沼尻竜典 東京都交響楽団 アンドレイ・ガヴリーロフ(ピアノ) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

11月28日・東京文化会館大ホール

ワーグナー「歌劇《タンホイザー》序曲」

モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466 」

ブラームス「交響曲第4番 ホ短調 op.98」

《タンホイザー》序曲は、びわ湖ホールの『指輪』他で力量を発揮してきた沼尻らしい聴かせどころを押さえた演奏。ヴェーヌスベルクの旋律と巡礼の合唱が交わる頂点も、バランスよく緻密に音楽を運んだ。

都響も冒頭のホルン二重奏が安定しており、ヴァイオリン群の一体感、チェロやコントラバスの低音の厚みなど、弦もまとまっている(コンサートマスター山本友重)。クラリネットを始め木管もうまい。響きに奥行きがあればさらに良かったと思う。

 

1974年、18歳でチャイコフスキー国際コンクールに優勝した経歴を持つ、アンドレイ・ガヴリーロフをソリストに迎えたモーツァルト「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」は、せかせかとした快速テンポで進んだ。これはガヴリーロフの要望だろう。ピアノの出番となると、ガヴリーロフはアゴーギクを大きくとり、テンポをかなり自由に変える。第1主題は思索的にじっくりと聴かせるが、一旦テンポが上がると、演奏は切迫していく。強音のタッチはまるでベートーヴェンを聴くように強靭だ。第2楽章もテンポが速く、ロマンティックな味わいは少ない。当然中間部は畳み込むように激しい。第3楽章も一気に進んでいった。第1楽章と第3楽章のカデンツァは自作だろうか。初めて聴くものだった。

 

アンコールは2曲。羽で鍵盤を撫でるように軽やかなスカルラッティ的な小品と、モーツァルトの「幻想曲二短調K.397」。これは孤独な独白を聞くように深い。強音は例によって激しいが、悲壮感は良く出ていた。アレグレット、ニ長調に転調すると、少し皮肉をきかせてさっと終わった。


ガヴリーロフは、1994年から6年間活動を休み、哲学や宗教を研究し、新しいアプローチを模索したという。個性的で、他と違う解釈も、彼自身の考えやアイデアがあるからだろう。何が出るかわからない面白さのあるピアニストだった。

 

後半は、ブラームス「交響曲第4番」。晩秋にふさわしい作品だが、沼尻竜典は熱い指揮で、枯淡やロマンティックな情感という雰囲気とは異なる、シンフォニックでスケールの大きな演奏を都響と展開した。第4楽章がそうした演奏に合っていて、劇的な効果をあげていた。フルート、オーボエ、クラリネットのソロも明快に良く歌う。トロンボーンの重奏やソロも力強い。弦もうねりがあり、充実していた。

 

第2楽章の第2主題は最初のチェロの合奏も、二度目の弦が8声部に分かれて奏でる重厚な合奏も、うねりがありよく歌っていたが、なぜか音楽の中に入っていくことができなかった。第1楽章の寂静感のある第1主題も同様で、ただ鳴っているだけというように聞こえてしまった。
 

この作品では、これまで「これだ!」という演奏に出立ったことはない。それだけ作品の真髄を表現することが難しいのだろう。
沼尻竜典©Yusuke Takamura