ガイドは山バカであってはならないの観点から色々と考えています。個人的には「どうでもよく、お気楽なのですが」職業ガイドとしては勉強して学ぶべき問題です。関心のあるガイドはほんの一握りで、思考停止のガイドに個人なら山の案内は願い下げです、ただの山登りが得意な垂直好きな猿と変わりがありません。

まいずるそうの実

「富士山の登山道の閉鎖について」山岳保険関係者に「法律との兼ね合い」と禁止を突破しての事故の場合、保険金や費用負担の支給がされるかどうか「故意や重大な過失」となるのか尋ねました。その会社は「極力会員のために支給する」というスタンスですとのこと、ただし「法律」のことはわからないとの回答でした。

ミヤマウズラ双子

「山の法律学」著者 溝手康史弁護士コラムを見ていると、先生はこの問題について国内では登山家でもあり1番詳しい先生で全国各地の講演会もされているだけあって「明快にコラム」されています。

読むのには根気がいりますがご一読下さい。遭難事故となった場合は「法律」にしたがって処理されるので若い方も関心をもたねばなりません。

花巡り

2020.5.18
富士山の登山道の閉鎖
山梨県と静岡県は、今年は、富士山の「登山道の閉鎖」を決定した。

1、県は登山道の管理者か?
 登山道を閉鎖できるのは、登山道の管理者である。山梨県と静岡県が登山道を閉鎖することは登山道の管理者であることを認めることになる。

 富士山には私有地があるが、県が私有地の所有者から登山道の敷地部分の管理権を譲り受けなければ、登山道閉鎖はできない。そのような権限を県が得たのだろうか?
 登山道の管理者には法的な管理責任が生じる。これは山梨県と静岡県が営造物責任や工作物責任を負うということである。

五波峠

 県が登山道の管理者であれば、県が管理規則を制定し、登山道の閉鎖の要件を明確にするべきである。登山道の閉鎖措置に対し、不服のある利用者は不服申立ができる手続きが必要である。県が管理している施設はすべてそのようにして管理している。

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2、登山道閉鎖の理由
 
新型コロナに感染する恐れがあるという理由で登山道を閉鎖するのは、過剰な制限である。感染リスクを防止するだけであれば、山小屋を閉鎖するだけで足りる。登山道が混雑するのであれば、入山者数の制限をすればよい。コロナ対策の閉鎖は、「自粛」の意味になる。

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 登山道閉鎖の理由は、山小屋を閉鎖するのでパトロール員を確保できないという理由のようである。しかし、先進国ではそのような理由から登山道を閉鎖することは考えられない。山小屋の閉鎖、パトロール員の確保、登山道の閉鎖は別の問題だ。

 先進国では、登山道の閉鎖は、崖崩れ、火山噴火など登山道の通行ができない場合が多い。ハイカー向けのトレイルは大雪などの場合にも閉鎖される。また、環境保護のために立ち入り禁止にすることは先進国では多いが、日本では環境保護のための登山の制限は少ない。富士山では環境保護のための入山制限はなされていない。

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 富士山では、山小屋を閉鎖すればトイレを使えないので、登山道を閉鎖するという理由もあげられている。これは環境保護政策のように見えるが、トイレがあってもなくても登山者が多すぎれば、環境を破壊する。富士山の環境破壊の最大の原因は登山者の多さである。トイレの有無に関係なく入山規制は櫃言うであり、登山道を閉鎖するかどうかの問題ではない。
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 世界中にトイレのないトレイルや観光施設は無数にあり、それらをすべて閉鎖したら、観光やアウトドア活動が成り立たない。先進国では、トイレがないという理由で登山道を閉鎖することはない。多くの場合、登山者数を制限すれば、環境汚染を防ぐことができる。国によっては携帯トイレの携行を義務づける場合がある。 

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 先進国では、登山道の閉鎖ではなく、別の方法で目的を達成する。しかし、発展途上国では、さしたる理由がなくても、管理が面倒だという理由でも簡単に国民の利用を禁止する。そこには憲法上の自由の尊重という考え方がない。そこには、「お上の物を国民に使わせるかどうかは、お上の自由だ」という発想がある。

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  富士山の登山道の閉鎖は、「登山者に事故を起こされては困る」という「管理の都合」がその理由だろう。 しかし、登山道を閉鎖しても、5合目付近の観光を禁止できない。
 憲法上の自由に基づき、登山自体は禁止できないので、登山者は登山道以外のところを通って登山することができ、かえって事故が起きやすいのではないか。

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 山小屋が閉鎖されると、5合目から日帰り登山者が無理な登山をする可能性があり、一定の救助体制が必要である。「登山者に事故を起こされては困る」と考えて「登山をすべて禁止しろ」と考える人がいるが、海水浴や釣り、カヌー、ヨット、サーフィン、クライミング、観光などすべてのアウトドア活動を禁止しなければバランスを欠く。

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3、登山道の閉鎖に法的拘束力があるのか?
閉鎖が行政指導であれば、閉鎖に法的拘束力はない。登山道の閉鎖に法的拘束力があるとすれば、パトロール員を確保できないという程度の理由で登山を禁止することは、憲法上の自由の過剰な制限である。

 その場合でも、登山道の通行禁止であって、登山道以外の場所を歩くことは禁止できない。例えば、富士山の山麓を歩くことの禁止、5合目付近を歩くことの禁止は過剰な禁止であり、できない。

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世界では、環境保護のための立入禁止はあるが、登山道のパトロール員を確保できないという理由から山域全体を立ち入り禁止にする国はない。
登山道の閉鎖が行政指導だとすれば、法的拘束力がないので、過剰な「制限」に当たらないことになる。

 ただし、日本では行政指導に法的拘束力があると勘違いする人が多いので、それに惑わされないことが必要である。

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 恐らく、県は、「県が登山道を管理しており、登山道の閉鎖は有効だ。しかし、県は登山道の営造物責任や工作物責任を負うような管理者ではない。県は、登山道の管理者だが、管理責任を負わない」と言うかもしれない。これは、法の無視である。

 現実には、山小屋が営業していなければ、富士山に登る人はそれほどいないので、登山道の閉鎖は必要ない。5合目までの有料道路を閉鎖すれば、登山道を閉鎖しなくても、登山者の99パーセントは減るだろう。5合目までの有料道路を閉鎖しない限り、登山道を閉鎖しても、大量の観光客が富士山に押し寄せて事故が起きるだろう。

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 富士山の夏期以外の登山は以前から「禁止」されているが、これは法的拘束力のない行政指導である。したがって、従来、夏期以外の登山をすることは違法ではなかった。今後、夏期、および、夏期以外の富士山登山が違法になるわけではない。

 もともと、富士山の登山道は、誰でも登れるようになっており、初心者の登山者や観光客が多すぎて事故が起きやすい。パトロール員を確保できなくなれば、事故が起きても対処できないので、登山道を閉鎖することになった。

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 従来、登山道の「管理者である県」が、管理を山小屋に丸投げしていたために、山小屋が閉鎖すれば登山道の管理ができなくなり、登山道を閉鎖することにしたのだ。山小屋の閉鎖が登山道の閉鎖につながるのは、従来の管理体制が山小屋まかせだったからだ。

多くの先進国では、山小屋が休止するために登山道を閉鎖する国はない。山小屋の営業と登山道の閉鎖は直接の関係はない。多くの先進国では、パトロール員を確保できないという理由からトレイルを閉鎖することはない。

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 カナダでは、「事故が起きても救助できない」ことを前提に、1人1万円の入園料を強制徴収する国立公園がある。入園料は環境対策費用である。

 多くの先進国のやり方にならえば、富士山は入山者数を規制して適正に管理すべきである。パトロール員を確保できないという理由では、トレイルを閉鎖できない。富士山で入山者数を制限すれば、遭難者も大幅に減る。アメリカの「富士山」といわれるホイットニー山は、1日の登山者100人くらいが許可の目安だ。

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 登山道の管理は「管理者である県」が責任をもって管理すべきであって、山小屋に丸投げすべきではない。そのように管理すれば、山小屋が閉鎖しても、登山道の管理は可能である。 富士山の登山道の管理でもっとも重要な課題は、入山者数の制限である。

 新型コロナ対策における感染法との齟齬の放置、「自粛」の法的なあいまいさ、検察官の定年延長問題における法治主義の無視と、富士山の登山道の法的な管理のあいまいさは関連がある。

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 また、富士山の登山道閉鎖には不公平という問題がある。公平という法の理念が日本で軽視されることは、検察官の定年延長、森友問題、加計学園、桜を見る会の問題、コロナ自粛の不公平さと、登山道の閉鎖の問題で共通する。社会の中で不公平な扱いが当たり前のように通用していることが、富士山の登山道の閉鎖に表れている。なぜ、富士山だけが、登山道が閉鎖されるのか。山梨県や静岡県の他の観光地は閉鎖していないではないか。尾瀬のトレイルは閉鎖していないではないか。

 多くの店がコロナで閉店したのに営業を続けるパチンコ店があった。それは「自粛要請」というあいまいな行政指導を用いたことに原因がある。営業したパチンコ店を非難することでは問題は解決しない。もともと「自粛要請」は公平性を欠く政策なのだ。これは、富士山や屋久島の協力金と同じである。不公平であることを可能とする政策を採用して、不公平な店を非難する役所・・・・バカげた政策だ。行政にマトモに店を閉鎖させる気があれば、営業禁止→補償という政策になるはずだ。それが世界の常識だ。

 これらは、日本の社会の法の支配の欠如を示す。法律はイエスかノーの世界だが、日本ではそれが嫌われる。日本ではあいまいであることが好まれる。形だけ法律のつじつま合わせをしてすませようという安易さがある。日本では、法というものが理解されていない。