外界の基準に合わせて作り出した人格で、
無意識且つ努力して在ろうとしている反応。
自我の人格が続けている、その反応は当然不自然なので、
エネルギーの消耗が非常に激しく、
心身がすり減ることも多いかもしれない。
この反応は外界の基準に沿わなかった時の
痛みの記憶が影響して誕生したもの。
(演ずるように過ごしている人は多いと思われる。)
一般的な感性や常識的な捉え方に沿った過ごし方、
周囲が当たり前にできていると感じているけれど、
自分はそれがどうしてもできないと感じるもの。
即ち外界の基準から見た場合に人間失格的な判定をされるような、
自分の状態、生き方のままで大丈夫だと許してあげると、
物凄く肩の力が抜けて、生きやすく、活力に溢れていく。
外界の基準という視点では人間失格だと思われるような
考え方、感じ方、過ごし方、生き方は、神が創造した
世界に求められている(だから生かされている)存在の光と誇り。
大我の意識が各々の命に自由と調和の時代が訪れるように、
物事や社会で起こる現象を決めている関係上、
命を不自由にしている、命を不調和にしている、
自我人格の反応や意識が次々に削ぎ落されていく
流れに逆らえなくなっている人達も多い印象。
こういう時は痛みを伴う動揺が走る傾向があるが、
その痛みの原因に見える状況や人を不自由や不調和から
自身を解放させてくれる機会を届けてくれた存在として扱い、
自我人格の反応や影響を解かしていくと、
一歩一歩自由や調和の世界へと進んでいく。
命や人々の世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような輝き。
現実世界に自分として生まれて生きることになった
ことへの蟠りが癒されていくような光。
現実世界にそんな優しい時間が流れて
広がっていくことを意図しています。
https://twitter.com/akiraclan