12月中旬ごろからインドへ帰省していて、今年は結婚して初めて、生涯の中でも2回目の、国外での年越しになる。
日本の12月といえば師走で、仕事納めに向けて誰もがせわしなく、そのかたわら街にはクリスマスソングや飾りなどが溢れかえり、いかにも年末・ 年の瀬の様相を呈しているし、
どっちかというとクリスマスイブの方が重要で、ケーキやチキンを食べて、子どものいる家庭ではサンタさんからプレゼントをもらえるのがお決まりで、
ちょっとした洋食系レストランではかき入れ時だし、季節の割増料金が乗っかってお高めのディナーコースが予約で満席だったりする。
一方インドでは、200年以上も英国支配下にあったのに、12月に入っても首都デリーの空港では日本のそれはもちろんなかったし、
クリスマス当日にあっても、ここ西インドのグジャラート州の小さな田舎町ゴンダル、ほか、インドのへそといわれるウッジェインでもクリスマスソングはまるで耳にすることがなく、
町もひとも、まったくクリスマスを意識していない(というよりよく分かってない?)ようで、誰一人として「メリークリスマス!」とか言わない。
それなのに、25日のクリスマスが全国的に祝日なのは、インドはすべてのマイノリティの宗教までをも受け入れていることから、
あらゆる宗教に配慮して、各宗教の主要な祭り事の日は、全国的な祝日にしているからだとかで、
ヒンドゥーでも、ムスリムでも、何の日かを知ってか知らないでか、この25日は国民の休日になる。
ちなみに義父の弟(つまりおじのことだけど、父親の弟をとくに「カカ」と呼ぶ)は、休日であることをすっかり忘れて出勤してしまって、
会社が閉まっていてようやく休日であることを思い出したくらい、12月25日が「なんの日」であるかは、ヒンドゥー市民には浸透していないようだ(笑
そんな中でもちょっとしたクリスマスらしさといえば、インドのデリー空港に着いたとき(12月11日ごろ)に、duty freeでようやくツリーの飾り付けを始めていて、
クリスマスセールだかのディスカウントを、バッグの店など数店舗がやっていたのと、
冬至の日に居たウッジェインでも、滞在先のホテルではツリーの飾り付けをし始めて(遅すぎ)、
そのあとゴンダルに帰ってきたときには、露店商が、サンタが被る赤い三角の帽子と口ひげを売り始めていたくらい。
ちなみにこのサンタ帽もここ最近の代物だとかで、ニティジが子どもの頃なんかは当然なかったそう。
あとは4才の姪っ子が幼稚園の先生から「24日の夜には枕元に靴下を置いておくと、いい子にはバガヴァーン(神様=この場合はキリストを指す)がギフトを置いていってくれるんだよ」なんて聞かされていたようで、それでもそこは、わたしたちのよく知る「サンタ」じゃなくて「バガヴァーン」。
そこでたまたま1才の息子と2人の姪っ子用にと用意していた、赤いブーツのお菓子の詰め合わせをサプライズで置いておいたら、朝起きるなり「なんかバガヴァーンがお菓子を置いていった」と嬉しそうに言いに来て、
「でもね、お菓子のパッケージの文字はグジャラート語じゃなかった」などと、けっこう目ざといことを言い出してどきりとしたけど、近所の女の子には「このお菓子、バガヴァーンからもらったの」と報告している様子に、義姉と見合ってニヤニヤしてしまいました。
きっと教会が多いムンバイやゴアなんかは、もっと違う雰囲気なんだと思います。
さて、クリスマス翌日は日蝕。ジョーティッシュでいうところの「スーリヤ グラハナ ヨガ」。
これも今回、インドでは初めての経験。
ヴェーダ文化で「食」をどう捉えるかは、前に書いた記事を参照されたし。
朝起きた時はすでに食の影響が始まっているらしいので、寝起きから食が終わるまでのあいだは、水も食べ物も取らずに過ごします。
義父はプジャリーとして任されているマハデーヴマンディールを閉めて、自宅のテンプルにてジャパをし、ニティジはヴェーダ関連のなんかの本を読んで過ごしていました。
わたしはといえば、寝ちゃダメ!と言われていたにもかかわらず、息子がグズるので添い寝添い乳をしていたら、そのまま夢の中へ。。。
食が明けたらまた沐浴をして、マハデーブマンディールの掃除をしに行き、テンプルも清掃して浄化してまた、日常へと戻りました。