心をそのままにしておくことが、自由ではない。

心そのままが、あなたを表しているわけでもないんだ。

って最近そんなことを良く感じます。

色々な人の相談にのって気づくことは、

衝動と気持ちは、「違う」ということ。

食べたい。寝たい。性的欲求を満たしたい。

そういった人の三大欲求といわれる

僕たちの心の奥から出てくる衝動と、

僕たちの気持ちは違う。

その衝動が、僕たち自身を表しているかというと、

それも勿論それも違う。

でも、その区別が出来ていない人もいる。

そういった人は、衝動と自分を重ねて理解してしまう。

「衝動があなたではないのに…。」

そんなことをその度に感じるのだ。

そして、こんな方もいる。

「自分が今感じるままにしたいことをしていくんだ。」

って。

確かに魅力的な響きがこの言葉にはある。

でも、今感じていることを僕らはどこまで感じられるだろうか?

大抵こういう「自分が感じるままに」という言葉を聞いた時、

僕たちが”感じる”のは、

苦痛から逃れたくて嫌だと感じている現状

or

自分がやってみたいと心に秘めていたことや好きなこと。

このいずれかか、この両方だ。

でも、それもアンバランスだ。

なぜなら他にもいろんな気持ちがこの瞬間にも、

僕たちにはあるからだ。

本当にやっていいのかな?という恐れや、

嫌だけどやらなきゃいけないなと感じる心や、

そんなこと言ったって叶わなかったらどうするの?とあなたを心配する気持ち、

他にもいろんな気持ちがある。

僕たちは、どこまで自分を感じることが出来るだろう?

そしてそれらを感じたその先がとても大切なのに、

誰もその先を教えてくれない。

「自分が感じるままにしていくこと」は、

好きなことをやることだけを意味しているわけじゃなく、

一つだけの自分の気持ちを感じるということだけでもなく、

表に出ている気持ちだけを”感じる”のではないってことを、

誰も教えてくれないのだ。

どうして心は、あなたに、僕たちに

・「嫌だな」と感じさせてくれるのだろう?
・「好き」な心へと心を向けさせてくれるのだろう?
・「叶わないかもしれないじゃない。」って心配してくれるのだろう?
・「やっていいのかな?」と恐れを感じさせてくれるんだろう?

その答えをあなたは、考えるのではなくって

あなたのその心で感じたことはありますか?

答えを”感じた”ことはあるだろうか?

その答えを感じたことがある方ならきっとわかるはずだ。

どの答えも、

「私」という全体へと向かって、

思いやりや優しさや愛情を向けていてくれることに、

どの答えも、

「私」というたった一人の人間の幸せを願っている。

それを感じるんだ。

感情を感じるんじゃなく。

その思いを感じるんだ。

感情は、日々移ろう。

人の感情は、移り変わる。

季節が変わるように、

今日のこの天気のように、

ころころと変わる。

心を感じるとは、感情を感じることではなく、

感情を羅針盤にして、

その奥にあるとっておきを感じるんだ。

あなたのとっておきを感じるんだ。

そしてそのとっておきを感じたら、

私という全体の為に、

あなたが志向する方へと、

心を向けていくんだ。

沢山のとっておきを背に。

それがきっと”自由”なんだ。

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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