エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

回想『藤 圭子』

2019-12-07 10:44:54 | 芸能・アイドル
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ある日、1970年代の音楽が無性に聴きたくなり、YouTube で沢田研二・朱里エイコ・ビリージョエル・スリーディグリーズ・・・ 数々の曲を聴きましたが、概ね古い曲としか聴こえてきませんでした。 そんな中、ある女性歌手のイメージが浮かびました。 しかし、顔や声を微かに覚えていても名前が出てきません。 確か、「40年ほど前に前川清と結婚し1年後に離婚した」・「20代で歌手を引退している」・「2013年に投身自殺した」・・・そう言えば「宇多田ヒカルの母親だ」。 検索により、『 藤 圭子 』の名前を見つけ出すのは簡単でした。 その後、インターネットを駆使し様々な情報を収集しました。

彼女の歌で覚えていたタイトルは、「圭子の夢は夜ひらく」「新宿の女」くらいでしたが、YouTubeの中では200曲近く視聴出来ます。 過去に聞いた事がない楽曲は、自分の耳には全て新鮮でした。 少しかすれた迫力ある歌声は、旭川市から上京し15歳で浅草を中心に女流し(ギターを抱き小さな酒場で酔客のリクエスを受け3曲200円で歌を売る)で、家族5人の生計を担ってきた厳しい生き様(サクセスストーリー)すら感じられます。 そんな『 藤 圭子 』の魅力ある楽曲を厳選し、100曲ほどdownload(mp3)して楽しんでいます。 何故か、彼女の曲を聴きながら晩酌すると、いっそう酒がうまくペースが進みます。(体に悪い事は保証します) 「川は流れる」・「母子船」・「赤ちょうちんブルース」・「国際線に乗る女」・「蛍火(藤 圭似子)」・・・、に響く良い曲ばかりです。(自己満足) 

ここからは、 藤 圭子 』の壮絶な人生について触れたいと思います

2013年8月、新宿の高層マンション付近の路上で、元歌手『 藤 圭子 』が転落による全身打撲で亡くなりました。 元歌手「 松村 和子 」(代表曲・帰ってこいよ)のご子息で、部屋を貸し故人の身の回りのお世話をしていた、彼のマンション(13F)のベランダから転落し、62歳の生涯を閉じられました。(ご冥福をお祈りします) 本来 警察の捜査は、事件と事故の両面から調べ、事件性がないと判断した時点で、事故又は自殺と方針を変えるはずです。 その中で遺書や異常行動があれば、自殺と判断するのが常道です。 しかし、自殺と断定する根拠は希薄です。 過去に自殺未遂や自傷行為を何回か繰り返していたのなら、遺書がなくても衝動的な自殺と考えられます。 何にも無いのであれば、何故に警察は事故と判断しなかったのか? 私は、自殺を大罪(社会に対する裏切り行為)と考えています。 もしも、自殺が事実であれば弁解も擁護もしません。 しかし事故だったら、故人には謂れのない自殺者と言う汚名(レッテル)が永遠に残るのです。 私は、転落した路上で発見された片方のスリッパに注目しました。 もう片方のスリッパがベランダに残され、空のクーラーボックスが倒れた状態で転がっていた点も気に気になります。 クーラーボックスに足をかけベランダを越えた事は、容易に想像出来ます。 ただし、ベランダから路上に向かって飛び降りたと言う自殺説は、納得出来ません。 何故なら、『 藤 圭子 』だからです。

娘「 宇多田 ヒカル 」を産んで、平成の歌姫と言われるまでに育て上げた子育ての天才が、どうして歩道の通行人や道路を走る車に巻き添えを加える可能性がある方向に、自らの意思で身を投げるのでしょうか? 他人に迷惑をかける、危うい選択をする筈がありません!(人に対する細心の気使いが出来たから、歌手としても子育ても大成功したのです) 『 藤 圭子 』の転落は、明らかに事故です。 夏の暑さを凌ぐ為、寝起き直後に短パン・Tシャツ・素足(スリッパ)の軽装でベランダの手摺りに腰掛け涼もうとした際、踏み台替わりに使った空のクーラーボックスがバラスを崩し、ベランダに座った姿勢で仰向けに落下したと考えられます。 これは、あくまで私の仮説で何の証拠もありません。(ただし、自殺の証拠もない) それが、推理・推測の限界ではないでしょうか! 彼女は過去に、吊り橋の手摺り(ワイヤー)に腰掛け、遠くを眺めている画像を「遍歴」のレコードジャケットに残しています。 服装や靴は違っていても、吊り橋の手摺りとベランダの手摺り、何か因縁の様なものを感じます。 警察やマスコミは、こぞって衝動的な自殺を強調しました。 果たして、そんな曖昧な結論でいいのでしょうか? 事故検証が杜撰と考えるのは、私一人ではない筈です!

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『 藤 圭子 』が亡くなり、マスコミは当然の如く動きましたが、何故か芸能界や歌謡界は沈黙していました。 お悔やみのコメントを発表したのは、前夫の「 前川 清 」と娘である「 宇多田 ヒカル 」くらいで、その他 外交辞令的な冷たい対応としか映りませんでした。 単に、過去の流行歌手と言う意味ではなく、“芸能界の異端児”(藤圭子&宇多田ヒカル) と関わりを拒絶したのではないかと思います。 「天は二物を与えた」そんな嫉妬めいた空気が、業界を支配している様です。 昭和の歌姫と平成の歌姫は、芸能界や歌謡界に何の貢献もしていないと考えているのなら残念です。 『 藤 圭子 』は中高年の「 宇多田 ヒカル 」は若者のを、今もこれからも癒してくれるのです!

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『 藤 圭子』は全盛期、「森進一のおふくろさん」・「八代亜紀の舟歌」・「中条きよしのうそ」・「布施明の霧の摩周湖」・「前川清の長崎は今日も雨だった」・・・同年代の歌手の代表曲を、まるで歌唱力を競うように次々とレコード出版しています。 彼女が企画したのではありませんが、当事者達は大いに迷惑した思います。 何故なら、どんな楽曲も“圭子流”の迫力で歌われるからです。(まるで、他人の財産を横取りする如く) また、若い頃 人一倍 苦労したにも関わらず、ワガママな性格が際立った様です。 「 前川 清 」との離婚劇では、ファンや関係者から非難が殺到したと言われます。 私は、それが天才『 藤 圭子 』の気性であり、サクセスストーリーの原点だと思います。 彼女は、「網走番外地」・「兄弟仁義」・「浪曲子守唄」・「唐獅子牡丹」・「傷だらけの人生」・・・渋い男唄の女伝道師で、最初から可愛い声も女の色気も必要としていなかったのです!

「圭子の夢は夜ひらく」は、15・16・17と私の人生暗かった~ 彼女の過去を物語る作品として大ヒットした一曲です。 その歌詞は、紛れない自画像だと思います。 『 藤 圭子 』は、15歳で女流しを職業に旭川市から上京したのではありません。 勿論、流行歌手を目指して苦難の道を選択したのです。 15歳の少女が、酔客の前で歌を披露するのは、苦痛・苦悩を超えて屈辱だったと想像します。 そんな暗い日常の中で、彼女はレコード会社のオーデションを、何度も受けています。 しかし結果は、容貌はいいが声が荒れていると言う理由で不合格の連続だったそうです。(レコード会社が、求めていた歌手のイメージと違っていた) 17歳の冬、北海道・岩見沢市のマイナーな雪祭りで営業していた際、たまたま ステージを観ていた新人作詞家「 石坂 まさお 」に歌手を前程にスカウトされたそうです。(新人作詞家として、冒険を承知で賭けに出た) その後は、トントン拍子に流行歌手の階段を昇り、短期間でトップの座を射止めた様です。 “昭和の歌姫”伝説は、多くの人が証言しているので、ここでは割愛します。 

ここからは、『 藤 圭子 』のプライベートな部分に触れたいと思います

『 藤 圭子 』の人柄や性格を、ネットで調べていると意外な発見がありました。 娘「 宇多田 ヒカル 」が5歳頃から、情緒不安定で躁(明)と鬱(暗)を繰り返していたと、何人かのコメントがありました。 それが本当なら、30年近く精神に障害があったと、誰もが信じてしまいます。 しかし、それは違うと思います。 私の知人で、起伏の激しい性格の人がいます。 その人は遺伝性の“色覚異常”(色盲)で、それを知らない人は彼の性格が優しいのか粗暴なのか理解出来ないと言います。 確かに、独特の個性(二面性)はありますが、精神疾患ではありません。 ただ、目球内部の構造(DNA)が一般人と少々異なるだけです。 

そこで彼女の両親を調べると、二親共に目に障害がある事を知りました。 『 藤 圭子 』が“色覚異常”であったか否か定かではありませんが、遺伝的に何らかの目の異常があったのは事実の様です。 それは、精神病と違うものです。 単純に精神病を疑う人がいたら、あなたは自分の子供を「 宇多田 ヒカル 」の如く秀才・天才と言われるレベルまで完璧に育てられますか?と聞きたい。 そんな親など、世界中探しても誰ひとりいません!(唯一、天国にいます?) 幼い我が子を、芸能界に入れたいと必死になるステージママ達は、『 藤 圭子 』の子育て法を一から十まで学べばいい、例え現実性が無いとしても!

私が感じた彼女の異常は、別なところにあります。 母親に対する過剰なる愛と労わりです。 誰しも、産み育ててくれた母親に対し敬意や恩情はあります。 しかし盲目の母親を労わったのは、むしろ『 藤 圭子 』であって深い愛情を強調する必要は無かったと思います。 彼女の二面的な性格からして、母親に対する偽りの愛情表現だったのかも知れません。 「母が憎い」幼い頃、に傷を残す何か辛い経験があったのではないかと想像しました。 上段で紹介した「遍歴」の歌詞の中にリタが5つの誕生日・リタを見捨てた母でした・やっと覚えたその顔を・その日限りで捨てました~と言うフレーズの中の“リタ”は、『 藤 圭子 』本人で「圭子の夢は夜ひらく」と同様に、幼少期の悲しい体験を詩に反映したのではないかと勘ぐってしまいました。

私は、冒頭で『 藤 圭子 』の名前を忘れていたと言いましたが、何故に今は亡き彼女の情報を集め無意味な答えを求めるのか、そこには個人的な理由があります。 それは、彼女の本名と誕生日が分かった時です。 本名「阿部 純子 」・「昭和26年7月生まれ」・・・、正直言って驚きました。 昔、我が町で出会った“ジュンコ”が『 藤 圭子 』かも知れない? そんな、発見があったのです。 私が6歳頃の事で記憶も定かではありませんが、同姓?同名・同い年の女の子が確かにいたのです。 ただし、彼女が中学生当時に暮らしていた旭川市ではありません。 その場所は、旭川から300キロ以上離れた道南の港町で、老夫婦が営む小さな旅館(現在、ご夫婦も建物も残っていません)の事です。 私は、親戚付き合いしていた事もあって、毎日のよう旅館に入り浸って遊んでいました。 ある日 見知らぬ女の子が、茶の間の隅で寂しそうに座っているのを目の当たりにしました。 初めて見る女の子で、事情が有って何日か預かったのかと思いました。 しかし、何ヶ月経っても親の迎えはありませんでした。 どこか翳りのある、痩せて無口な子でした。 1年後、“ジュンコ”は私と一緒に小学校に入り、連れ立って学校に通ったものです。(思うに、その頃の“ジュンコ”は笑顔を見せても、は孤独のどん底だったのかも知れません) その当時、何を話し何をしたか正直 覚えていません。 小学校3年の時、突然 母親が現れ“ジュンコ”を引き取って行きました。 その頃 “ジュンコ”が何処に行ったのか、旅館のおじさんや担任の先生に聞くチャンスはありました。 しかし 4年ぶりに母親と再会し、今は親兄弟と幸せに暮らしていると思うと、子供心に口をつぐみ忘れようとした記憶があります。 以降、私と“ジュンコ”の交流は途絶えました。

“突然現れて突然去っていった、謎の多い女の子” 今更、あの “ジュンコ”が『 藤 圭子 』であろうと別人であろうと、私には何の関係もありません。 しかし、“ジュンコ”が昭和の歌姫『 藤 圭子 』だったらと思うと、喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な心境です。 ただ言える事は、今後 故『 藤 圭子 』の一ファンとして遺作となった数々の楽曲を、の拠り所として長く愛して行きたいと思うだけです。

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・・・ 有難う & さようなら ・・・

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・・・ 画像はYouTubeから転載 ・・・


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