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三役陣の出欠情況 その110

2019-10-21 13:26:47 | 日記
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 文政二(1819)年冬場所の三役陣。

東大関 柏 戸 8日間を出場
     〔五日目、四賀峰に休まれる?〕
西大関 玉 垣 前半戦を欠場
東関脇 立 神 楽日のみ不出場
西関脇 有馬山  〃   〃
東小結 源氏山  〃   〃
西小結 緋 縅  〃   〃

 昔、お抱え力士は、相撲會所(現協会)
が「力士拝借願」を提出して“許可”を
得なければ土俵へ上れなかった━と云わ
れている。
 玉垣(←越ノ海)も雷電らと同じ雲州・
松江藩お抱えだったが、当時は抱えを
解かれ、番附頭書も「江戸」と記載。
 だから当場所、「出場許可」が遅れた
なんてことはあり得ないはずだが……。
 因みに、当場所番附に「雲州」と書か
れた幕内力士は皆無だった。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-10-22 02:07:50
千田川の玉垣でなく越ノ海の玉垣が雲州抱えとは初めて見ました。番付にはないようですが出典は何ですか

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