ああ、日本とカンボジアの違いの一つがこれなんだ。

それは地政学的リスクを負った国だと感じたことです。

1960年代までは東洋の真珠、東洋のパリなどと言われたカンボジアも、現在は見る影もありません。

70%超といわれる自営業者の多くは農家、トクトク、モトドップ(バイク)などのタクシー業、屋台などの飲食業、観光地での物売り、軒先での飲料・生活雑貨販売などです。

上:庶民の食堂 下:野菜の産地業者

太平洋戦争後、日本は復興に向けた物資の国産化を推進しました。

島国であること、第二次世界大戦で世界が疲弊していたこと、日本は元々物つくりの国であったことが引き金になったのだと思います。

航空機、武器、戦艦を作ることは禁止されても、技術は残っていました。

鍋釜、オート三輪、住宅、建設機械などすべてが不足していたので、政府の支援もあり企業は開発に力を注ぎました。

 

一方でカンボジアはというと、内戦終了直後から食べ物や生活物資は隣国から大量に持ち込まれた。

必要だと感じれば何でも輸入する業者が存在し、政府は復興のために物資の国産化を唱える環境はなかった。

加えて、1970年代から20年近く続いた内戦の間に、世界の経済環境は大きく発展していた。

復興に向けたUNTAC、ODA、NGOなどの活動も盛んにおこなわれたので、政府は総合的な復興を自主的に考える間もなく時が過ぎました。

 

日本では最近技術職の数が減っていると、ネットの番組でやっていました。
今現在は世界シェアー上位の製品を作っている会社が沢山あるそうですが、10年後20年後にはどうなるのでしょうか。
ユーチューバーとか、ネット販売とかが取りざたされていますが、物が売れる以上誰かが物を作っています。

携帯電話も、タブレットやパソコンも誰かがどこかで作っているということを忘れてはいけないと思います。

上:農機具の製造修理工場 下:建築途中の現場

カンボジアの製造業はどうなんでしょう。
縫製や組み立て工場は、どこかの国の工場が移転してきただけなので、ほとんどカンボジアで売られることはありません。

Made in Cambodia とは書いてあってもカンボジア国内では買えないのです。

食品の多くはまだまだ輸入品です。ザルもバケツも、普段着も輸入品です。

上:お米の収穫風景 下:カシューナッツ畑

米を輸出していますが国内消費が半分、生産量の30%程度は輸出していますが、残りは玄米のまま密輸出されています。

カシューナッツも胡椒もコーヒーも、唐辛子でさえ生のまま輸出されています。

バナナもマンゴーも、農産物のほとんどは原料のまま隣国に輸出されています、それも密輸出が多くを占めています。

軽工業や農産物の一次加工は、雇用の促進に大きな効果をもたらします。

上:ローカルの基礎コンクリート作業(練る作業をしません)
下:レストランの建設風景

カンボジアに来ている多くの日系企業は物販業だと思います。

縫製業などの企業もいますが、少数です。

製造業は決算書に製造原価という勘定があります。

製造業には製造原価を削減することが大きな使命がありますが、何より開発費や技術の継承、人材の育成が求められます。

しかし、商品開発や技術の継承には多くの時間と費用がかかります。社内では製造原価を下げる下げないという議論はつきものです。

製造業と物販業の大きな違いは、発想やひらめき、先人からの物つくりの技術の継承の方法だと思います。

職人と言われる人たちには、長い間の下積みがつきものです。

日本の技術が世界で信頼されるのはその技術が認められているからです。

物つくりの中小企業はどこも厳しい経営だと言われますが、大企業にはできない開発力と技術を持っています。

それが物つくり日本の底力でもあると思います。

上:カンボジア製農機具

下:同上

カンボジアにも鉄工所や木製品の製作所があります。農業はもちろんのこと、農産物の一次加工、日配食品や家庭用品などの軽工業、農機具や木製品の加工などが少しずつでも増えることが期待されます。
製造と販売は経営の両輪です、似て非なるものそれが私の中では物販業と製造業です。

上:日系のコーヒーの移動販売

下:フランスパンの製造工場

土木や建築技術は日本から支援されてきました。

これからは、小さな物つくりの技術を支援することが、日本にできる支援なのではないでしょうか。

 

 

 

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