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竹崎律次郎長州藩探索を命じられる 慶応元年のこと

2019-04-03 15:10:16 | 町在竹崎律次郎

 竹崎律次郎は以下の文書に見るように第一次長州征伐後の長州藩の国内状況の探索を命じられます。
 この時期の長州藩は元治元年(1864)に起きた禁門の変に敗れ、続く第一次長州征伐によって藩存亡の危機に立たされていました。藩は取りあえず攘夷派を退け恭順派を立てて、ひたすら謝罪を繰り返すことによって辛うじて滅亡を免れている、という状況にありました。しかし攘夷派は殲滅されてしまったわけではなく、藩の内外に潜伏して再起の機会を窺っているのですから藩内は政情不安の極にありました。
 このような時、国境を接している訳でもない熊本藩がスパイを送り込んで長州藩の状況を探らねばならぬ必要がどこにあったのか、甚だ疑問に思うところですが、これにはそれなりの事情があったことでしょう。「町在」にはそこまでの記述はありません。
 竹崎律次郎が敵状探索の責任者に抜擢され、臨時の「士席振れ合」という身分で「敵地(と町在に書いてある。)」へ赴きます。律次郎は万延元年(1860)に家督をすべて養子新次郎に譲り、一領一疋の身分も返上して妻順子とともに横嶋の干拓地に居住して農業に専念していたはずですが、5年後の慶応元年(1865)には再び藩の御用に召し出されたわけです。しかも今度は「探索方」という命がけの仕事です。

 

                            熊本県立図書館蔵

御内意之覚

南郷御郡代手附横目
竹崎新次郎養父小田
手永横嶋村居住

竹崎律次郎

右律次郎儀去秋片山多門小倉出張之節被差添
律次郎江は坂下手永居住平川龜右衛門同手永築地村
甚右衛門を被差添彼表江被差越置滞陣中臨時

御用相勤候内筑前表江御用有之去八月廿八日より
士席之振合ニ而被差立九月二日引取同月八日在陣中
士席振合ニ被 仰付臨時御用並他藩応接相勤
同月十八日より芸州廣嶋ニ而防州岩国迄為探索被差
立其後右同所江両度被差立都合三度ニおよひ十一月
廿一日此砌諸藩之事情等聞繕可申旨被 仰付十二月
廿一日より下関方事情聞繕として被差立敵地帯刀


                                  熊本県立図書館蔵

入込出来兼候ニ付無刀町人之体ニ而罷越事情探索仕
同廿四日引取右之趣追々他郷江被差越探索の次第は
其節々委細御達仕置候写別紙之通ニ而
御滞陣中一稜御用弁筋ニ相成当正月帰陣被
仰付候迄野地ニは度々他郷江被差立他藩応接且
敵地江は姿を替入込彼是不一方辛労いたし誠実
相勤申候間右被対勤労此節重被為賞被下候様有

御座度於私共奉願候則別紙五冊相添御達候
此段御内意仕候条宜敷被成御参談可被下候以上

慶応元年九月  玉名 御郡代

御郡方
御奉行衆中

 


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