アトリエ 籠れ美

絵画制作、展覧会、美術書、趣味、その他日常の出来事について
平成27(2015)年5月4日より

小説や絵画、音楽はなぜ廃れないのか。

2018-10-19 06:27:43 | 画材、技法、芸術論
 映画やテレビの登場で、小説が非常に苦しい立場に追い込まれて久しい。字を追って読むより、映像を見る方が楽なのだから、仕方ないと言えば仕方ない。しかしながら小説は世界中で今でも書かれ、そして読まれている。

 どうしてなのか。それは映画やテレビを制作するのと違って、小説には元手がかからない、独りでできる(書ける)からだ。

 小説は、大がかりな資本やたくさんの人員を必要としない分、新しいこと、実験的なことに挑戦しやすく、その結果、斬新な作品が生まれやすい。いやより正確には、生まれる可能性が映画や小説よりも高い。だから廃れない。

 これは絵画にも言えることで、写真の登場で絵画はもう終わりだとか言われて約200年経つが、未だに世界中で絵画が描かれ、そしてそれを収集する愛好家たちがたくさんいる。

 確かに絵画は、記録する絵画(例えば肖像画)としての役割は終えたが、小説同様、独りでできる(描ける)ため、新しいことに挑戦できる。これが多額の資金を必要とする映画なら、企画段階で落とされる可能性が高い。

 音楽も同様で、作詞作曲も、楽器を弾くのも、独りでできるので、良い作品が生まれる可能性がある。ギターひとつ、ピアノひとつ上手ければ、それだけでやっていける。

 要するに、独りでできるということは冒険しやすく、たとえ売れなくても自分のやりたいことを続けれられる。だから画期的な作品が誕生する。

 もちろん、そうした画期的な作品がそうそう生まれるわけではない。けれど、その可能性がたとえ僅かでもあるというのは大事なことで、そうした環境を整えておくことは現代人の責務だと思う。

 凄い作品が一つ出ることで、世の中が大きく変わる。あのモナリザが好例だ。たったあれ一作で絵画の世界が変わってしまったのだから。

 エッシャー曰く、我々を取り巻く日常は退屈なもので、だから我々は奇跡を求めているのです。

 まさにその通り。だから小説や絵画、音楽といった独りで始められるものは、大きな役割を担っているわけです。


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