科学的かどうかはおいといてその通りだ。
何であれ、いちいちコストがかかる人がいる。コストとは周囲が費やす時間的、労力的、精神的なもの。
誰かの「口の災い」によって“調整”を強いられる秘書や補佐の働きとか。
「○○さんは口ではあー言ってますけど、根はイイ人なんですよー」という“後方支援”も周囲が負担するコストだ。必要なければソレがいちばんイイ。
本人は「いやそんなことは頼んだ覚えはない」と言うかもしれない。が、大抵は自分はうまくいっているつもりなだけで、周りの陰のサポートがなければ存在自体危うい人は沢山いる。
まず場の雰囲気を壊すだけでもそこに居る人達の精神的消耗の回復コストは高くつく。
やたら怒鳴る人とか、問い詰めて追い込む人とか、言い負かすことで勝ち誇っている人とか。
あとナルシストとか(笑)。
ナルシストは本人の勝手だろうと言えなくもないが、周りはかなり疲弊する。「今回はちょっとは周囲の人のこと気遣ってくれてるなー」なんて思っていたら、結局自分がどう見えるかしか気にしてないとか。
「自意識過剰」とナルシストは通常分けて考えられるが、実際は自意識過剰な人も周囲を疲弊させる。ナルシストとの違いは本人が悩んでいる点だが、その悩みの本質は「○○したら△△って思われるかも」という具合に、自分のことが全てだから。
例えばある問題で行き詰まっているAさんに対し、Bさんは解決策を知っている(経験済み)。そこでBさんは一旦はAさんにアドバイスしようと考え周囲にも相談するが、最終的には「こんなこと言ったら上から目線とか思われるかも」と考え引っ込めてしまう。
自分の印象を優先し、Aさんの問題解決に手を貸さないどころか傍観を決め込むのだから利己的。
周りからすれば「これで解決するといいね」と思っていたところ、「結局見て見ぬふり?」と落胆する(疲れる)。
自己肯定感が低く承認欲求が強いと、この傾向が出やすい。「Aさんのことを思っている(気遣ってる)優しい自分」は見せつつ(その点でも自分の印象優先)、自分に自信がないから“アドバイス”が上から目線のように感じてできない。
議論好きな人と同じで、話してるだけで何もしない。
ナルシストも自意識過剰も辿り付くところは自己愛。
これらを総合的に見て、人々にとってプラスになる存在であればそれが“貯金”として積み上げられていくんだろうと私は思っている。
そういった「日頃の行い」がどう循環するのかを解りやすくまとめる「宇宙銀行」の考え方は好き。