偏差値(言うまでもなく学力に限らない)とは水物であり、自分は変わらずとも周りのレベルが変化すれば自分の値が上がったり下がったりする。
為替と同じで、円高になれば外国人から見て日本人の資産が増え、円安になれば目減りする。
日本のように単一言語・通貨で暮らし、ずっと“中”に居ると何も変わらない(変わったように見えない)からピンと来ない人が多いが、それ故に日本人の相場観は井の中の蛙的なところがある。
来年からプログラミングが義務教育に取り込まれる。
と言ってもまだ「プログラミング」という科目が追加されるわけではなく、既存の科目の中に「プログラミング的な思考」を散りばめていくという、様子見レベルのものらしい。
イマイチすっきりしない話をしてもしょうがないので、算数や国語のようにプログラミングが1科目として義務教育に取り込まれた場合(以下、完全義務教育化と呼ぶ)どうなるかを考えてみたい。
プログラミング教育を受けていない世代は、自らが進んで学習しない限り偏差値が下がることを意味する。
要は完全義務教育化された年以降「義務教育相当の知識を持ち合わせていない人」に成り下がる。
と言うとちょっとは目が覚めるだろうか。
通常、MARCH以上の大学を出ている人は「オレは大卒だ」と自信を持って言うだろうが、それでもプログラミングの完全義務教育化以降は、これからの子供達が「必要最小限学んでおくべきこと」とされるプログラミングができない限り、義務教育レベルの知力があるとは言えなくなる。
もちろん大卒の資格がなくなるわけではないが、「あー、平成とか昭和のですね」と陳腐化する。
新しい世代が底上げされ、古い世代が相対的に下がる状態。
小学生に「教えて」と言われても答えられない大人ばかりになり、その小学生が新社会人になる頃には「義務教育レベルのことがワカラナイ人達」と呼ばれるようになる。
恐らくこの数十年でこれ程までに変わるのは初めてじゃないだろうか。
そして(現在現役世代は)相対的に知能指数も下がる。意外かもしれない。
標準とされるウェクスラー成人知能検査は、義務教育程度の知力があれば答えられる常識的な問題ばかりだが、世界的にプログラミングが完全義務教育化されれば、検査内容に取り込まれる可能性が十二分にあると考えられる。
そのタイミングとは、「これがワカラナイと社会生活に支障を来す恐れがある」と判断された時。すなわち知的障害判定に必要とされるほど、プログラミング能力が現在の算数や国語、コミュニケーション能力などと同等に扱われる時代を意味する。
言うまでもなくワカラナイ人の知能指数は低く出ることになる。
そうなるのはもう少し先だと思うが、より実践的・現実的な知能指数を測定しようと思えば、先進国においてはそろそろ試験的導入を検討しても良い時期に来ている。
このくらい時代が激変する環境下においては、今IQが高いか低いかよりも、5年後10年後に必要とされる(環境に適応できる)能力を持ち合わせているかの方が重要になる。
かれこれ10年くらい前から言っていることなんだが、IT知的水準(仮)が低いと、今後物事の真偽・善悪の判定ができなくなってしまう時代が来る(来た)。
例えばワームに感染した端末を使っている人間を(ネットワーク的に)隔離すべきかどうか。本来は伝染病と同じ手順・対応を必要がある。必然的に一定期間仕事ができなくなったり、立入を禁じられる場合があるが、これを差別だ不公平だと主張すること自体が偏差値の低さを意味する。すなわちルールや法理解に乏しいがために短絡的・衝動的犯罪に手を染めた受刑者達と同じ分類(=知能が低いという判定)になる。
例えばある生徒が学校のルーターに対する攻撃に気づき、善意でIPフィルタリングのコードを書いた。すると学校の重要なアプリケーションの通信が途絶え、全生徒の全国テストの結果が期日までに得られなかった。これは犯罪か。誰の責任か。当該生徒の善意か悪意かをどうやって調べるのか。
例えばプログラミング完全義務教育化後、学校から生徒1人1台の端末が貸与されたが、ある女の子のプライベートな通信(メール等)の情報が漏れた。宿題を手伝ったA君自作のサンプルプログラムに嫌疑がかけられたが、A君はソースコードを公開し自らの潔白を証明した。が、親を含め周囲は潔白なのかどうかの判定ができなかった。
とか。
ちゃんとわかってないと、やってもないことを自分のせいにされたり、自らの潔白を証明する術を知らないと悪党に仕立て上げられたりする可能性がある。同時に“罰し方”もわからなければ、罪の重さも判断できない。裁判官も弁護士も大変だろう。
プログラミングの義務教育化とはそういう時代の到来を意味する。「特別なもの」「専門的なもの」ではなく、できなきゃいけないことと化する。
そしてこれは「IQとは生涯変わらない」という考え方の終焉であり(そもそも結晶性知能は変化し続けるんだが)、IQとは偏差値そのものだという証拠でもある。
他人が上がれば自分が下がる。その反対も。
義務教育の内容が大きく変わるということはそのくらい重大なことだ。
義務教育化されれば小学生向けのわかりやすい参考書や塾の教材なども充実するだろうから、社会人初学者は勉強を始めるのに良いタイミングですよと背中を押したい。