むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

原城(群馬県)

2020年03月18日 | 百名城以外の城
原城はらじょう
別名
構造岸端城
築城者斎藤半兵衛竜政
築城年代元亀年間
指定史跡市指定史跡
場所高崎市上室田町3056 地図

原城は、中世末期に美濃の斎藤道三の末流である斎藤半兵衛竜政が築いたと伝わります。
西に隣接する雨堤の砦の豪族である長壁道観と築城したという記録が残ります。
縄張は狭長で小ぶりながら巨大な堀に守られ、東の平地には中屋敷と馬場が構築されていました。



主郭

南北に細長い主郭が見えます。


南側入口

郭への入口に一番近いこの場所の両側は民家で、
こちらの住民の方が外にいらっしゃったのでお声を掛けると
親切に、お隣のお宅の通行の妨げにならないように置いてくれれば
ここに車を置いて行って来ていいよとおっしゃってくれたので
お言葉に甘えて、敷地を拝借して急いで見学させて頂きました。(感謝です)



この辺りはイノシシ除けをされている場所が多く、
原城へ行くにも、この獣除けを「気を付けて跨いで行ってね」と
行き方を教えてもらったので、短い足が引っかからないよう
慎重に足を上げて進みました。


入口

すぐに堀が見えるのでいきなりテンション上げ上げになり、
入口を見落としそうになりました。
先ほどの住民の方がすぐ左に入口があるとおっしゃっていたので
よ~く見ると、枯れ葉に埋もれた階段があるのが見えました。
その先には案内看板と標柱も見えています。




かつては水堀であったとされる南側の堀です。
周囲は田畑となりつつも、よくぞ残してくれました。


二の郭

南側の堀を渡り、二の郭へと登ります。


案内看板

登りきった二の郭でまず迎えてくれたのは案内看板。


標柱と石祠

標柱と石祠があります。
あまり広くない二の郭は、まるで物見のようです。


主郭

二の郭から見た主郭。
ここを登って渡るのかなあ?


水路

北側から流れる水路は水堀のようになっています。
そして、実はこの川がこの城を造り上げている重要な川なのです。


土塁

南側の堀と堀の間には人が一人通れる程度の幅の、
細い尾根のような土塁が残っています。



反対側からも見てみました。


堀切

主郭の堀はは、美しいほど見事な堀です。
これは惚れ惚れします。
ところで、主郭への入口がみつかりません。
しかもこの急勾配は、甲冑を着ていない私でもどうやって登ろうか悩みます。
三の郭側からも道や入口がみつからないので無理やりよじ登るしかないのでしょうか…。


中屋敷

東側の中屋敷へやって来ました。
東の平地は居住区となっていました。
奥には低い土塁が残ります。



城の守り神でしょうか。
現代になっても大切にされている様子がわかります。


水路

この水流を使って、流し堀りをして巨大な堀が造られたそうです。
見事な堀を造ったと同時に主郭削り過ぎたんちゃう?と思ってしまいました^^;


中屋敷

屋敷跡と主郭の高さは同じです。
というか、同じ陸続きだったはずですからそれもそうか。
そして、その深い堀を水流で掘ったのかと思うと水の力は凄いなあと思う。



馬場ならぬ…現在は牛舎です。


訪れたきっかけは前の晩視た「ブラタモリ」で、島原・天草一揆の話題で原城が出ていたこと。
いいなあ、行ってみたいなあとネットで検索していたら、ここの原城もヒットしたことで
よし、県内なら行ける!原城へ行こう!とう気分になり訪れました。
すると、「麒麟が来る」でも話題の斎藤道三の末裔の城であるとも。
なんとも…NHKに導かれた原城訪問でした。


令和2年3月15日登城


今回の参考本

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