オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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TV報道番組に見る1978年のAM業界(5):インベーダーブーム直前とテーブル筐体の台頭

2020年03月22日 15時48分54秒 | 歴史
(前回の続き・なぜか一般のゲーム場ではなく)メダルゲーム場の分析では、どんな機種が置かれているかの円グラフと、昭和49年(1972年)と昭和52年(1977年)のメダルゲーム場における機種構成の変化を示したグラフが示されます。この中には一般のビデオゲームも混じっていますが、「最近ではその他の部分が多くなって、アーケードもメダルゲーム場の方に入ってきている」と、ちょっとつじつま合わせ的にも感じられる解説が入ります。


(左上)1977年10月時点のメダルゲーム場の機種別比較。「ロタミント」や「電光点滅式」など、違法営業で活躍した機種の名も見える。 (右上)昭和49年(1972年)と昭和52年(1977年)の機種構成の変化を示すグラフ。番組では「その他の項目が増えている」と言っているが、この「その他」が何を指しているのかがよくわからない。画面では筐体物のビデオゲームの絵が置かれているが、マスメダル機やビンゴ・ピンボール機の項目が見えないこのグラフは、どうも何かごまかされているような気がしてならない。 (左下/右下)業界事情を示す映像。ガン、ビデオ、パチスロ、ロタミント系メダル機が背景に置かれているところから、ここは必ずしもメダルゲーム場に限定してはいないものと思われる。

その後、「AM機は多種類を少数生産するという宿命があり、ライフサイクルも短い」として、様々なアップライト筐体をバックに、いくらかの業界事情がテロップで紹介されます。これが、メダルゲームに限ってのことなのか、AM機全体について言えることなのかの区切りもあいまいですが、どうも後者、AM機全体についての話のようです。

◆ゲームマシンの特性
  ・多種類・少量生産
  ・1機種:400~1000台
  ・ライフサイクルは短い(ファッション性)

◆メーカー数:全国約100社
  ・大手8社:タイトー、ナムコ、セガエンタープライズ(注・原文ママ)など

◆設置場所
  ・ゲームセンター、遊園地
  ・デパート、スーパー
  ・飲食店・・・ など

この中で、1978年当時の大手が8社と言いながら3社の名しか挙げられていませんが、残り5社はどこになるのでしょう。これはちょっとクイズにできそうなテーマです(正解は知りませんが)。勝手な推測としては、関西精機、任天堂レジャーシステム、ユニバーサル、データイースト、アイピーエムあたりかなあと推測しますが、ひょっとすると、日本娯楽機、こまや、三共、豊栄産業、東洋娯楽機、明昌特殊産業なども候補に含まれる可能性があるかもしれません。まあ、なんにしても、これらの中で現存するメーカーが極めてわずかであることは実に寂しいことです。

さて、現在の業界事情を解説したという一応の体裁を整え、「このようにゲームマシンがいろんなところに顔を出すようになってきているのですが」と雑にまとめられた後、「今年のヒット商品はどんなものになろうか」という話題に話が移されます。これに対し中藤氏は、「(前出のJAAショウのルポでの)中村ショウ委員長の話にもあったように、テーブル筐体が非常に多くなってきている。テーブルは昨年のショウにも一部出展されていたが、当時はまだそれがどうなっていくのかは不透明であった。それが今や街に6万~7万出ていると言われる」と答えています。喫茶店など飲食店ロケを想定して作られたテーブル筐体が普及していく過程の一端が伝わってきます。

これを受けてきうち氏が「街中のレストラン、喫茶店に取材に行ってきた」と述べ、シーンは再び取材映像に移ります。取材先は「マルキーズ麹町店」と言う喫茶店とレストランの混合のように見える店で、インタビューに答えているのは店長の古屋敷一三氏です。


マルキーズ麹町店の店内の様子。盛況の店内の壁には高得点者の記録が掲示されている。

きうち:この店にテーブルゲームを導入したのはいつ頃か。
古屋敷:今年(1978年)の2月ころに、売り上げが悪かったので導入した。

きうち:現在、何機種、何台設置しているか。
古屋敷:機種は5-6種、全部で10台設置している。

きうち:その中で特に人気がある機種は。
古屋敷:最初はブロックが人気があったが、今はインベーダーと言うゲームが過熱気味で機械が壊れそう。

きうち:1日当たりの売り上げは平均いくらくらいあるのか。
古屋敷:インベーダーは1週間で10万は入る。ほかの機械に比べて倍以上入る。

きうち:一人平均でいくらくらいのお金をゲームにつぎ込んでいるか。
古屋敷:普通のゲームなら一人当たり千円前後くらい。よく入る機械だと三千から一万円くらい。
きうち:一人で一万円!? うわー。

きうち:ゲームの導入はお店の売り上げにつながっているか。
古屋敷:売り上げはゲームとともに5割くらいアップしている。

きうち:この機械はレンタルか?
古屋敷:そうだ。
きうち:売り上げの歩合は?
古屋敷:普通はシチサンでサンがうちで貰ってナナが業者。ゲームがたくさん入るとヨンロクとかということもある。



インタビューの間に流れる店内の映像では、「テーブル筐体のメーカーは約30社、普及台数は約10万、1台当たりの価格は35~40万円、去年の暮れから今年にかけて大流行」とのテロップが入る。スタジオで話されていた解説と異なる数字も見られるが、情報を得た時期や解釈にもよると思うので、これはそんなに騒ぐほどの齟齬でもなかろう。右下の画像には、当時の自分が重なって見える。

映像がスタジオに戻り、斉藤氏が「ゲームマシンのおかげで商売繁盛ですね」と感想を述べてから、「自分は最近ヨーロッパに行ってカジノ等やってきたのだが、カジノは損することもあるが儲かることもある。しかしゲームマシンの場合は儲かるということはなく、見返りはない。それがなぜこのようにはやるのか」という疑問を中藤氏に問いかけます。中藤氏はこれに対して、「いろいろ考え方はあるが、見返りはなくとも楽しい時間にお金を払うようになったということがあると思う。特に都市においては街に出ることが大きなレジャーで、従来ショッピングや飲食に使われていたものが、物が豊富になるとそういうものが当たり前になってしまい、何か楽しいことはないかという客の欲求にこたえているということだと思う」と解説して、番組としては終了しています。

スペースインベーダーのアップライト筐体が発売されたのが1978年の8月、テーブル筐体は1か月遅れの9月です。そしてこの番組が放映された1978年の10月時点では、番組後半のインタビューにもあったようにすでにインベーダー人気は非常に高くなってはいますが、社会一般的にはインベーダーブームと呼ぶだけの共通認識がまだできていない、非常に貴重な一時期を窺い知ることができました。そしてまたこの番組は、テーブル筐体がいつごろできてどんなペースで普及していったかを窺い知ることができる良い資料となりました。

(このシリーズ・おわり)

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2 コメント

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Unknown (tom)
2020-03-22 18:55:47
1978年当時の大手の残りの5社は、ご提示の会社ですねぇ。

当時インベーダーは、今では考えられない勢いでしたね。

私の年上の知人も当時業界人でレンタルをしたいたお店の取り分を、本当に物理的な丼勘定でポリバケツで分配していたそうです。

当時もう少し早く生まれて、さえ適宜に計算出来ていれば「大金持ち」だったのですケドね(笑)
Unknown (nazox2016)
2020-03-22 21:21:34
78年当時に大手と呼べる企業はそんなになかったですよねえ。あとありうるとしたら、新日本企画、太陽自動機、昭和遊園機械、まさかのボナンザくらいでしょうか。

今では大手娯楽提供企業になってしまった某企業では、喫茶ロケの集金で集まったお金を持って逐電した奴がいても、「いいよいいよ、退職金代わりにくれてやれ」で済ませてしまうこともあったと聞きました。良し悪しはともかく、それだけ濡れ手に粟の商売だったんでしょうね。

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